下手の横好き(馬と獅子が好きです)

主に西武ライオンズ、競馬のことを主に書いています。

所沢移転元年(1979)では?

今日は日ハムに勝ち、借金を16に戻しました。
明日からは敵地で最下位天王山


そんな中でも
主催地で来客数100万人を突破
昨年より1試合早い46試合目で達成とか。。。


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さて、今年は現時点で
94試合38勝54敗2分
勝率.413
1979年の所沢移転元年に
次ぐワースト状態。


ところで1979年は
どんな成績であったのか?

リアルには見ていたものの、
当時はガキのころ(小2)なんで
詳しいことまでは覚えていなし、
記憶も間違っていることもあろう。
そこで少し調べて
当時を紐解いてみたい。
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当時1979年の成績は通年で
130試合45勝73敗12分で
勝率は.381とひどい状況であった。
今年のパリーグ出塁率でいえば、
個人順位の9位と同程度である。
でも今の西武の勝率も
柳田の出塁率の方が高いが・・・


ただ当時は前期・後期に分かれており、
前期は開幕からの12連敗を含めて6位
18勝40敗7分で勝率.310
一方、後期は5位
27勝33敗5分で勝率.450
であった。
後期も決していいわけではないが、
少なくとも前期より右肩上がりになっていた。
ちなみに、
翌年1980年は、
前期:27勝34敗4分 勝率.443(6位)
後期:35勝30敗0分 勝率.538(4位)
通年:62勝64敗4分 勝率.492(4位)


その翌年1981年は、
前期:33勝28敗4分 勝率.541(2位)
後期:28勝33敗4分 勝率.459(5位)
通年:61勝61敗8分 勝率.500(4位)
と根本監督時代は弱くとも右肩上がりで3年を経て
翌年83年に広岡監督を招聘して
黄金時代へ突入していきます。
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1979年の前期は
生え抜きの東尾、土井、大田のほかに
若手の立花、山村など
他球団から田淵、野村、山崎が
新人からは松沼兄弟、森繁、柴田、
メジャーからはミューサーと集まったが、
投打が噛み合わず
外人ミューサーも役立たず(前期でクビ)。


開幕から12連敗のときは、
ロッテから来た打守が巧みなセカンド・山崎が間に合わず
スタメンもバラバラという面が目立っていた。
鈴木葉留彦さんは背番号6番をつけていましたけど
小さいころの頭には地味という記憶しかありません。

田辺さんも背番号6番で地味でした。


野手のスタメンは
・1番マルーフ(外野全般)
・3番土井(DH又は3、7)
・4番田淵(DH又は3)
・山村(打順バラバラもサードで固定)
・立花(打順バラバラも外野全般で固定)
・5月以降で2番山崎(4)
が固定されていたが、
ほかはバラバラという感じ。
捕手は野村、奥宮、楠城で回す。
ショートもレギュラーが固まらず。
(井原、大原、広瀬が入れ替わり)
→ショートの件は今の西武にも共感。


土井は打てたので、ファーストかDHが専門でも、
半分はレフトもやらされていた。
(今の森、金子みたい)
特にDHタイプ(守備が微妙)
田淵、土井、大田とかぶっていた
→この点は今の中村、森、メヒアという点に共感。

投手陣は
東尾、森繁、松沼兄、古沢の4柱を中心に、
柴田、五月女を織り混ぜて先発を揃える。
しかし、中継ぎに左のサイド・永井がいたが、
今のようなストッパーは無し。


しかし、ゴールデンウィークまでの26試合は
アンダースローの兄やんで2勝、
エースの東尾で1勝と勝てず。


ちなみにその26試合はチームで
3勝21敗2分(勝率.125)と
永江の打率より低い勝率


ただし、前期のチーム成績を月別で見ると、
4月:3勝15敗2分(.167)
5月:6勝19敗2分(.240)
6月:9勝 7敗4分(.563)
と慣れてきて一応、右肩上がりになっていた。
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1979年の後期は
まず補強を図り、
それがはまった。
前期の終わりごろに
ショートの穴を埋めよう
 日ハムから行沢をトレードで獲得
後期開幕ちょっとしてからは
・メジャー上がりのミューサーはクビ。
 新外人タイロンが入団し、
 外野手として3又は5番で固定


野手陣は後期の後半では
スタメンが概ね固定されてきた
①7マルーフ、②8立花、③3土井、
④DH田淵、⑤9タイロン、⑥4山崎
⑦5山村、⑧2吉本or野村、⑨6行沢
代打:大田、広瀬等


投手陣は
東尾、森繁、松沼兄、古沢の4柱に、
1年目の松沼弟も台頭し、
ベテラン山下も間隔を開けて
ローテの谷間に入り込む。


後期を月別で見ると、
7月: 3勝 7敗1分(.300)
8月: 8勝14敗1分(.364)
9月:11勝 8敗2分(.579)
10月: 5勝 4敗1分(.556)
スタメンが固定されるようになった
9~10月にようやく結果を残すことになった。


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いずれにしても、1979年は、
弱かったが、
右肩上がりの状況にあった。


ちなみに1979年最後の頃の
クリーンアップの成績は、通年ですが、
土井が128試合540打席470打数で
 打率.270,HR27,打点70,出塁率.360,
 長打率.472,三振42(.089)
田淵が107試合429打席382打数で
 打率.262,HR27,打点69,出塁率.336,
 長打率.521,三振54(.141)

タイロンが58試合236打席220打数で
 打率.291,HR8,打点24,出塁率.332,
 長打率.441,三振35(.159)


個人成績では
リーグでは下位でも、
チームでは上位につけている選手が
当然、スタメンを張っていた。


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さて、今の西武の月別成績は
4月:12勝14敗2分(.462)
(3月含む)
5月:10勝13敗0分(.435)
6月:10勝13敗0分(.435)
7月:    6勝14敗0分(.300)
と、
右肩下がりの傾向
特に今月(7月)が急降下中
である。


いずれにしても、
今年は1979年のように弱いが、
右肩上がりであった当時に対し、
今年は右肩下がりであり、


また月別なので無理な比較であるが、
当時は勝ち越した月が6、9、10月とあり、
前期、後期シーズンの締めで調子を上げていること
(ラストではダッシュして加速)


一方、今年は勝ち越した月が無し。


このように、今年(2016年)は
まだ通年や当時の前期(上半期)と比べ
まだ勝率はまだわずかに上であるが、
内容的には、
1979年当時よりもヤバいかもしれない。