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源田が更新する前の球団新人最多安打記録保持者・石毛氏“ミスター・レオ”の初年度1981年はどんな年?

源田が石毛氏の球団新人最多安打記録を更新しました。
“ミスター・レオ”こと石毛氏の1年目は1981年。
それから36年振りの更新でした。


でも、石毛氏の1年目は、121試合に出場し
そのうち先発出場は108試合。
打率0.311、本塁打21本、打点55点、25盗塁。
打率は終盤で不振に陥りましたが、
9月中旬まではリーグトップの落合氏に
2厘差まで迫る0.326でした。


さて、石毛氏が1年目となった
1981年のライオンズは?


所沢に移籍して3年目であり、
根本監督の最終年に当たりました。
4月4日の開幕戦となる川崎でのロッテ戦では、
石毛氏が1番ショートでスタメンに入り、
プロ初アーチを含む4打数3安打2盗塁と
華々しいデビュー戦を飾りました。

次の2試合目でも最終回に2本目の一発を放ちます。
しかし、チームは開幕戦から連敗スタートの結果に。


この1981年の新人には石毛氏のほかに、
杉本氏が投手としてデビューしており、
4月7日の日ハム戦では、
初登板で初完封勝利という快挙を見せました。
そして、この年の投手陣は、
東尾氏、森繁氏、兄やんや弟やんの松沼兄弟、
ルーキー杉本氏が先発陣の5本柱
となり、
永射氏、古沢氏、柴田氏らが中継ぎ陣の中心に。


一方、打撃陣については、
中心的存在のベテラン勢(田淵氏、土井氏)の不振を
石毛氏、テリー氏、大田氏、山崎氏、立花氏などで埋め、
その年のベストオーダーというと、
1番 4山崎、2番 6石毛、3番 7大田、
4番 8テリー、5番 3スティーブ、
6番 DH田淵、7番 9立花、8番 5行沢 
9番 2大石 という感じでした。
ちなみに、この年の鈴木葉留彦本部長は、
67試合出場 打率0.200、1HR、15打点。


またこの年の5月5日に
レオの妹の愛称が「ライナ」に決まりました。


シーズンについて、この当時は
前期、後期の2シーズン制になっており、
日本シリーズ出場、リーグ優勝を賭けて
その前期、後期の覇者が
プレーオフとして戦う制度
でした。


今の制度はCSに3位まで参加できますが、
正直、個人的には当時の前後期制の方が
今の制度より好きでしたね。
それは一旦、リセットされますからね。
昨年のような場合、まだ盛り上がれます。


まず前期シーズンについては、
開幕戦から連敗スタートも、
4月7日の杉本氏完封から5連勝で首位に立ちます。
ただし、その後に4連敗して、
さらに5月のGW以降で6連敗して4位まで転落。

しかし、6月11日から4連勝で2位浮上するも、
19日から1分を挟む3連敗と足踏み、
結局、前期は33勝28敗4分で
ロッテの2ゲーム差で2位
に終わります。


でも、石毛氏は前期終了時に打率0.355と
新人ながらも前期首位打者になりました。


その後、後期は7月4日から開幕。
ただし、その開幕戦を所沢で近鉄相手に敗戦。
それでも7月12日に弟やんの完封勝利で
阪急と同率首位に並びました。
しかし、その2日後に2位転落となり、
それ以降は下降線を辿ります。

7月20日から3連勝するも、
7月末~8月頭で2分けを挟む6連敗
9月には8連敗もあって
最終的の後期成績は、
28勝33敗4分けの5位で終了


結局、通年成績は
61勝61敗8分の4位Bクラスに終わりました。
この年の特徴としては、接戦に弱かったです。
5点差以上の試合では
21勝11敗とリーグ一の勝率でしたが、
1点差試合が11勝17敗でリーグ5位。


しかし、所沢移籍3年目にして、
初の勝率5割となり、戦力も
東尾氏、田淵氏、土井氏、山崎氏、大田氏らの
ベテラン勢に加え、所沢移籍後入団の
森繁氏、松沼兄弟、大石、スティーブ氏
石毛氏、杉本氏、テリー氏などが揃い、
優勝に向けての土台が築かれた年でもありました。
翌年、広岡氏を監督に迎え、
所沢移籍後初のリーグ優勝、日本一の栄冠を成し遂げ、
西武ライオンズ黄金期が始まりました。


なお、この年のタイトルでは、
石毛氏が新人王、ベストナイン、ダイヤモンドクラブ、
テリー氏がベストナイン、
山崎氏がダイヤモンドクラブを受賞しました。




源田に安打数は抜かれたが、1年目の石毛はすごかった!
9/7(木) 11:03配信

 重ねた安打数は128に到達した。9月6日、ロッテ戦(メットライフ)の3回、一死二塁で打席に入った西武・源田壮亮はチェンが投じた4球目を引っ張り、二塁内野安打に。前日、1981年に石毛宏典が記録した球団新人最多安打に並んでいたが、早くも記録を更新した。
 「偉大な先輩の記録を超すことができて本当にうれしいです。1年目でここまでできるとは思っていませんでした。これからもチームのために1本でも多くのヒットを打てるよう頑張ります」
  源田が“偉大な先輩”と形容した石毛。黄金期にチームリーダーとしてチームを引っ張り、数々の栄光をもたらした男だが、石毛もまたルーキーイヤーから光り輝いた。安打数では源田に抜かれたが、その他では圧倒している部分が多い。
  81年、プリンスホテルからドラフト1位で入団。デビューは4月4日、開幕のロッテ戦(川崎)だった。「一番・遊撃」でスタメン出場を果たすと、村田兆治を相手にいきなり3連続ヒットをマーク。しかも、最初の2安打は盗塁を決め、3安打目は本塁打だった。
  「たまたまですけど、思い切りよく振れました」と、さわやかに石毛は語ったが、ロッテの大ベテラン、張本勲は「(本塁打は)難しい外角球だ。あれを打つんだからただ者じゃないよ」とべた褒め。翌日、同じくロッテの倉持明から2試合連続本塁打。これ以上ないデビューだった。
  駒大時代からのモットーである「完全燃焼」貫き、常に全力プレー。6月には月間打率.481で月間MVPに輝いた。8月中は打率首位を突っ走り、9月22日までトップの落合博満(ロッテ)に2厘差の.326をキープ、史上初の新人首位打者を狙える位置にいた。最終的には9月下旬からの不振がたたって7位に落ちたが、それでも打率.311で、58年の長嶋茂雄(巨人)以来の新人3割打者。公式戦最終戦の10月4日、ロッテ戦(西武)で21号本塁打を放って有終の美も飾っている。
  盗塁も25。主に二番を打った石毛の後ろの三番を打ち、自己最多の24本塁打をマークした大田卓司は「石毛が塁に出てくれたおかげ」と感謝の弁を述べていた。守備もソツなくこなし、新人王にベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞など、各賞を獲得した。
  何よりも、主砲・田淵幸一の不振で落ちかけたチームの人気を、その華やかなプレーで支えた功績が大きかったが、本人に満足感はなかった。オフに入り、「少しは骨休みでもしたら?」と声をかけられても、本人はクビをタテに振らない。シーズンを通してフルに活躍できる体力さえあれば、首位打者獲得が叶ったと考えたのだ。公式戦終了後、休みなしで突入した秋季練習でも手抜きなしの猛烈さを見せた。その姿勢が、“ミスター・レオ”の礎となったのは間違いない。

 写真=BBM
週刊ベースボール