①【TBS放送S☆1】『ノムさんぼやき解説』6/10巨人vs西武(3回戦) ノムさん解説を西武の部分だけ抜粋。森、秋山、山川にぼやき解説!/②【週刊BB記事】ノムさんが今週のヤクルト戦に「西武40周年」イベントでMLDへ来る!『実のところ私自身、西武に対する「OB感」はほとんどなく、西武時代は苦い思い出が多い』らしい。当日、何をぼやくのか???
TBSのS☆1で放送されているノムさんぼやき解説
巨人vs西武(3回戦)を語られたようです。
ノムさん解説を西武の部分だけ抜粋します。
◇坂本、亀井に被弾した時の捕手・森について
森は、これから配球術、
配球を追いつめて勉強すべき。
1番イヤなのはインコースが強い人
俺はそれが1番イヤだった。
キャッチャーは守りにおける監督ですよ。
◇森の配球について
9回裏の大城に対する配球を例に
(3球目高めストレートを仕留めきれずファウルに)
あぁ~あ、自分(大城)でチャンス潰して
バッターの心理としては
しまったと思っているんだから、
俺なら もう一丁(高め)か
ワンバウンドの変化球で行くね。
(4球目低めストレートでサヨナラ打を見て)
森の配球を見ていて非常に淡泊。
高めのボールを振ってくれたんだから
「こんなところも振ってくれるんだ」と思ったら
「もう一丁 高めにどうだ」といくか
ワンバウンドの変化球だね。
捕手はさまざまなサインを出すけど、
ドラマの筋書きを書いているわけだからね。
森は配球術を勉強した方が良いと思う。
◇秋山の3回表に外角低めスライダーを
打ったタイムリーについて
うまいこと打ったね。
難しいスライダーだよ。
打ったというより合わしたって感じだね。
さすが3割バッター
◇山川、メット落とすほどの
フルスイングについて
バカかコレ!?
ヘルメットが飛ぶほど振らんでもいいよ。
こういうの馬鹿力と言うんだよ。
ヒットの延長がホームランだよ。
俺も650本しか打ってないけど
ホームランなんて狙って
打ったことないよ1回も。
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ところで、今週のヤクルト戦で
OB対談のイベントに
ノムさんがメットライフドームへ来ますね。
少し前の記事ですが、
そのノムさんの連載記事を抜粋します。
【週刊BB野村克也氏の連載記事】
「西武40周年」“西武ライオンズ誕生40周年イベント参加決定!だが、私がライオンズOBと知るファンはいるのかな?”
<週刊ベースボール2018/6/4号より抜粋>
西武ライオンズが、埼玉県所沢市に本拠地を構え、今年40周年を迎える。そこで交流戦期間(対戦チームも含め)過去在籍したOB選手を招いてのイベントが行われることになったという。
私もこれに「参戦」する。6月13日のヤクルト戦。試合後、グラウンドトークショーを行うようだ。
しかし、メットライフドームを当日訪れるファンの中に、私がライオンズOBと認識している人はどのくらいいるのだろう。むしろヤクルトファンの方が「OB監督」として記憶の片隅に残しているのではないか。実のところ私自身、西武に対する「OB感」はほとんどなく、選手としては南海、監督としてはヤクルトOBという気持ちが強い。
<中略>
新生西武ライオンズ1年目。球場も設備も新しかったが、選手は前身のクラウンライター・ライオンズ勢を中心とする寄せ集めのメンバーだった。監督は、前年クラウンを率いた根本陸夫さんが留任。ただ、私は残念ながら、監督としての根本さんをまったく評価していない。
「野球というものに何が大事か、この人はわかっているのだろうか」と疑問に思う采配が多かったのだ。特に、ピッチャーの代え時。今でも思い出すのは、先発・古沢憲司を4回1/3でマウンドから下したことだ。これには古沢も怒った。ベンチに戻るなりグラブを思い切り壁に投げつけた。私も内心「そりゃあ、怒るわな」と思った。傍から見ても、古沢が気持ちよく投げているのが分かった。代える必要のまったくないところで、監督が動く。とてもキャッチャー出身の監督とは思えなかった。
根本さんの手腕は監督としてより、むしろGMとしての部分で発揮されたと思う。監督兼管理部長として西武ライオンズ誕生に当たり、阪神から田淵幸一、古沢、ロッテから山崎裕之をトレードで獲得した。また、森繁和(現中日監督)をドラフト1位指名したほか、プロ入りを拒否していた松沼博久、雅之の兄弟までドラフト外で入団させた。
寄せ集めとはいえ、田淵、山崎などビックネームを補強したことから、初年度の前評判は決して悪くなかった。しかし、チームは開幕から12連敗。西武ライオンズ元年は、最下位に終わった。
私はいつからか、松沼兄専用(?)のキャッチャーになっていた。何を根拠にそうしたのかは、わからない。ただキャッチャーをコロコロ代えるところも、私が根本監督を評価できない一因だ。兄やん(博久)はアンダースローで、モーションが大きい。いつも「タダ」で相手に盗塁を与えているようなものだった。阪急戦では福本豊、蓑田浩二など、私が送球しようとしたときには、もう二塁ベースにスライディングをしているありさまである。
「小っちゃいモーション(クイック)でほうらな殺せるか!」と、何度も兄やんに訴えたことか。どうにもならんのかと首をひねりながらも、あきらめていた。ところが、のちに広岡監督就任後、しっかりクイックでほうっているではないか。
<中略>
中には、向学心のある選手もいた。何か疑問を持つと、私のところへ聞きに来る。監督に迷惑がかかると思い、「ちゃんとコーチがおるんだから、そっちへ行け」と言って、試合中までベンチに座らないようにした。それが監督造反、と取られた節もあったようだ。西武時代は、それほど苦い思い出が多い。
<後略>
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「私がライオンズOBと知るファンはいるのかな?」
確かに野村氏は、
選手兼監督をやられた南海時代
あとは引退された後の
ヤクルト、阪神、楽天の監督時代
が有名ですよね。
西武で引退されましたが、
西武時代はそう長くはなかったですし、
その前のロッテ時代もそうでしょうね。
でも、野村氏が西武OBだった
というのは覚えております。
そもそも私がプロ野球を見るようになったのは、
西武が所沢に来た年(小学校1年)の頃からなので、
逆に南海時代、ロッテ時代を知りません。
3000試合出場を記念した南海戦は
確か、残念ながら
ゲームは負けてしまった記憶が。。。
最後にドカベン香川氏から
花束をもらわれていた気が。。。
また通算本塁打650号を
ライオンズ1年目に
古巣の南海戦で達成された記憶が。。。
あの頃は弱かったライオンズで
比較的、明るいニュース
記録だったような印象(うろ覚え)があり
何となく覚えていますね。。。
ヤクルト戦は観にいけませんが、
是非、毒舌、面白い話を期待しております。



