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懐かしの西武助っ人OBスティーブの記事が。週刊BB【プロ野球仰天伝説66】数種類のカツラを使い分けた広岡西武の助っ人【助っ人トンデモ話】

懐かしの助っ人ですね。
このスティーブは、テリーとともに、
黄金時代初期に貢献しましたね。


西武が所沢に来たとき、外国人は
マルーフ、ミューサーと使えないタイプでしたが、
その後にタイロンが来て、そのタイロンは活躍して
最後は南海へ移籍しました。
ただし、サードにはダンカンがいましたが、
ダンカンは長打はあるものの、
打率が低く今ひとつだったので、
シーズン途中の前期終了後に
このスティーブが招聘されましたね。


シーズン途中から来ると安定した打率で
後期優勝に貢献(当時はリーグ2期制)。
その後も打率3割をキープしていましたからね。
ただ、記事にもあるように一発はあまりなく、
当時は45本以上がHR王争いの時代でしたが、
多い年でも20本程度でしたね。


うる覚えですが
性格は短期で、カッーとなると暴れたイメージが。
でもヒゲがトレードマークだけど、
記事にあるように頭部も特徴的でしたね。


今、どうされているんですかね?



【プロ野球仰天伝説66】
数種類のカツラを使い分けた広岡西武の助っ人【助っ人トンデモ話】
2/27(火) 11:05配信 (週間ベースボール)


長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。


 スティーブ[1980-85西武/内野手]
 1980年途中、カブスから3年半の契約で西武入り。長打力はさほどではなかったが、勝負強いバッティングで広岡達朗監督時代の西武黄金時代を支えた陽気な助っ人だ。
  スティーブは移動の際、いろいろな髪形で現れたが、別に頻繁に床屋に行っていたわけではない。実は3種類のカツラを使い分けていたのだという(使い分けの基準は不明)。メジャー時代はカツラメーカーのCMにも出演。プレー中もつけ、スライディングの際、カツラが飛んで場内が大爆笑になったこともあったというが、日本ではプレー中はつけていない。
  1年目は規定打席には到達していないが、2年目の81年以外はすべて3割超と安定感があった。広岡監督には「一発のない助っ人なんて……」とブツブツ言われることも多かったが……。