下手の横好き(馬と獅子が好きです)

主に西武ライオンズ、競馬のことを主に書いています。

【西武の連敗記録】1979年の開幕12連敗を振り返ってみると・・・まあ「連敗」と言うと記録では、、、

今年は開催されれば試合数が減るから、
その今年を制するには『開幕ダッシュ』が欲しいですね。


今年はどこの球団も『先手必勝』が重要になりそうです。
(もちろん、何試合できるのか?はありますが)


それを鑑みたとき、
所沢1年目に当たる1979年の開幕12連敗
振り返ってみたいわけですが・・・



まあ「連敗」と言うと球団記録では、、、


西武の連敗記録というと、
1979年の開幕12連敗があるほか、
それを超えた2015年の13連敗が記憶に新しいですね。


13連敗した2015年。
この頃の西武ライオンズといえば、
前年2014年に渡辺監督の固い決意による辞任に伴って、
第二次伊原政権が樹立されましたが、
その伊原政権が渡辺政権とは真逆の「厳しさ」を求めたこともあって、
チームが崩壊していた頃であり、
代行監督の田辺氏が正式に監督へ就任した年でしたね。


その13連敗を振り返ると、、、


7月15日の楽天戦(所沢)から悲劇の連敗街道が始まりました。
西武は9回まで4-0でリードしていましたが、
先発・野上がウィーラーに3ランを浴び、
トモミが連日の失点で同点に追いつかれ、
延長戦に入って11回表にバスケスが崩れて逆転されました。


オールスターを挟んでの7月20日オリックス戦(京セラ)では
岸が完投するものの、打線は金子~佐藤達也~平野の前に沈黙。
岸を援護できずゼロ封で連敗に


翌日7月21日オリックス戦(神戸)では、
先発・雄星が初回に3四球絡みで4失点で先制され、
打線も振るわず、3連敗に


本拠地に戻った7月24日の日ハム戦(所沢)では、
先発・十亀が崩れるものの、
中村のソロ、満塁弾の2発で反撃しましたが、
中継ぎ陣が崩壊し、増田が轟沈し、
被安打19本で13失点となり、4連敗


翌日7月25日の日ハム戦(所沢)では、
黄色ユニ着用が始まり、初回に2点先制し、
ハム反撃直後に取り返す展開を繰り返したものの、
終盤の反撃に中継ぎ陣が耐えきれず、
最後はトモミが3失点で崩壊して逆転負けで5連敗に


7月26日の日ハム戦(所沢)では、
トモミが自らバリカンを入れて坊主頭で球場へ。


序盤に先制していましたが、
レアード2ランで同点と追いつかれ、直後に逆転を許し、
先発・牧田が崩壊して、そのままズルズルと6連敗に


舞台を移した7月28日ロッテ戦(千葉)では
岸が2失点で完投するものの
打線が石川らを前に1点しか奪えず援護できぬ7連敗に


7月29日ロッテ戦(千葉)では、
先発・雄星が6回2失点でQSクリアするものの、
打線は振るわず、中継ぎ陣が田村の満塁弾等により崩壊して
終わってみたらワンサイドで8連敗に


7月30日ロッテ戦(千葉)では、
先発・郭俊麟が6回1失点でQSクリアするものの、
打線が振るわず、投手陣を援護できず、
2死満塁から角中への押し出し与四球が勝ち越し点となり
西1-2ロで敗れて、9連敗に


7月31日ソフバン戦(所沢)では、
牧田をリリーフへ転換させるものの、
先発・バンデンハークが6回2失点でQSクリアするものの、
打線が振るわず、投手陣を援護できず、
リードを奪えず、西2-4ソで敗れて、10連敗に


8月1日ソフバン戦(所沢)では、
初回、内川の2ランでソフバンに先制を許す。
でも、先発・野上が7回2失点でHQSクリアするものの、
打線が天敵・武田を前に振るわず、投手陣を援護できず、
リードを奪えず、西1-2ソで敗れて、11連敗に


8月2日ソフバン戦(所沢)では、
光成を先発で起用。
しかし、2回に牧原への押し出し与死球で先制を許し、
4回にも3失点して、光成は降板。
でも、その後、中継ぎ陣が鷹打線を封じましたが、
獅子打線は中村3ランで反撃して、安打数は鷹を上回るも、
あと1点が奪えず、追いつけないまま12連敗に


これで所沢移転後、球団の連敗記録12に並びます。


8月4日楽天戦(仙台)では、
岸が先発するものの、初回に2失点、5回に2失点と重ね、
結局、岸はエラーも重なりながら5回4失点で降板。
それでも7回に一死満塁から脇谷、浅村のタイムリーで
西4ー4楽と同点に追いつきましたが、
遊撃手に入っていた外崎が失策して負け越しの1失点。
3失策を含み競り負けて、球団新記録となる13連敗に


翌日8月5日楽天戦(仙台)では、
雄星が先発し、投打が噛み合って西6ー1楽で
一応、これで連敗はようやくストップに。
ただ、9回裏には二塁手・直人のエラーも絡み、
無死一、三塁のピンチに陥り、冷や冷やさせましたが。。。


まあ、この大型13連敗により4位に転落しましたが、
前半の貯金がまだ助かりました。
これだけの大型連敗をしておきながら、
勝率5割(69勝69敗5分)で
Bクラスでも4位でフィニッシュしたのだから、
開幕12連敗した1979年と比べれば、
まだマシとは言える
のですが、
この頃のチームは
戦力も含めて体質が崩壊していましたね。


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一方、開幕12連敗した1979年は?


当時の開幕12連敗を簡単に振り返ると、、、


開幕戦の4月7日近鉄戦(日生)では、
先発・東尾が完投(自責点2)するものの、
近鉄のエース鈴木啓二を相手に8安打放つも、
残塁祭りで完封されて、
拙攻・拙守により開幕戦を落としました。
(西0-3近)


4月9日近鉄戦(日生)では、
打線が打てぬ中、
中盤に先発・森繁和や中継ぎが崩壊。
金城による球団初HR(2ラン)や
土井ソロ弾が終盤に出るが、反撃も時すでに遅し
西3-9近で近鉄・井本の完投勝ちで、連敗に


4月10日阪急戦(西宮)では、
初回に先制されて、6回に追いつくも、
そのすぐ直後に
2ラン被弾で再び引き離され、3連敗に
(西2-4急)


4月11日阪急戦(西宮)では、
初回に先制されて、反撃乏しく、
阪急に主導権を握られたまま、
白石の完投勝ちで4連敗に
(西1-7急)


4月12日阪急戦(平和台)では、
福岡へ里帰りするものの、
阪急に主導権を握られたまま
佐藤義則に完封されて、
西0-11急のワンサイド大敗で5連敗に


次の4月14日は、
本拠地・所沢で初試合(日ハム戦)と、
新生「西武ライオンズ球場」のこけら落としに。
福田元首相も始球式に登場し、客席は満員御礼。

初回表、先発の森繁和が日ハム打線を三者凡退に抑え、
その裏、ハムの高橋直樹から立花が先制ソロHRを放ち、
西武球場名物の花火が打ち上がります


ここまでは良かったんですが。。。


それ以降、得点が入らず、
しかも7失策で大量失点を生み、
 ※先発の森繁和は自責点0で5失点
  二番手の山下律夫も自責点は1
ハムがゴロを打てば、
「これは捕れるよな???」状態。
普通のクロスプレーで
電光掲示板に「NICE PLAY」と表示・・・


結局、西1-7日のワンサイド大敗で6連敗に
さすがに「打てない、守れない」で
堤オーナーも大激怒したとか。
「監督に5割で良いと言っているが、6連敗はひどい」
「米国キャンプももう中止だ!」と。。。


その後も負け続け
4月15日の日ハム戦(所沢)では、
序盤から先制されて、反撃乏しく、
ハムに主導権を握られたまま、7連敗に
(西4-8日)


4月16日の日ハム戦(所沢)では、
先発・東尾が2失点で完投しますが、
「打てない、守れない」で
ハム杉山に完投勝ちされて
西1-2日と8連敗に


4月17日阪急戦(所沢)では、
初回に先制されるけど、すぐその裏に返し、
3回に勝ち越して序盤から主導権を握りますが、
終盤に追いつかれて勝てず、引き分け。


その引き分けを挟み、
4月18日阪急戦(所沢)では、
打線が沈黙して、
三浦に完封で勝たれ、9連敗に


本拠地4連敗、開幕から9連敗で迎えた
4月19日阪急戦(所沢)では、
7回に西1-1急の状況で
先発・古沢から兄やんに交代しましたが、
兄やんは、
三連打を浴びて2失点となり、僅か6球でKO。
9回裏に田淵の1号HRで反撃しましたが、
そこで力尽き(西2-4急)屈辱の10連敗に


次の4月21日ロッテ戦(川崎)では、
投手陣が崩壊して、失策も絡み、
序盤に6点ビハインドに。
(この日は4失策)
ところが、西2-9ロの7回には、
先発・仁科を捕らえて打線が爆発し、
1イニングで7点を奪って追いつきます。
しかし、そこで力尽き、
結局、西9-9ロの引き分けで終わり、
初勝利はお預けに。


そして4月22日、川崎球場で
ロッテとのダブルヘッダー
では連敗します
1試合目
森繁和が1失点で完投しますが、
安打数がロッテの3本を上回って6本打ちながらも、
打線は残塁祭りでエース村田に完封され11連敗に
2試合目は、先発・柴田が中盤に崩れ、
1点ずつの反撃も、西3-5ロと届かず
遂に12連敗を喫しましたね。


14試合で2点以下が9試合もあるわけですから、
今と違って、かなりの貧打状況でした。
まあ、14試合で29得点で、
2015年13連敗時は13試合で30得点でしたね。


でも、失点も14試合で74点で
1試合平均失点が約5.3点ですからね。
(※2015年13連敗時は約5.2失点と似たようなものですが)


そりゃ、連敗も重ねますね。。。


一応、4月24日南海戦(所沢)
ミューサーの初回タイムリーで先制し、
4回裏に相手失策も活かして3点を奪い、
先発・兄やんが8回、5被安打、2失点(自責点1)で好投し、
西4-2南と、ようやく『球団初の勝利』を飾りました。
(この頃、西武と南海が二弱であり、その南海相手ですが)


その後、4月30日から7連敗、5月半ばに5連敗
黒星を重ね続け、この年は、
前期最下位、後期は南海を押さえて5位。
通年では45勝73敗12分(勝率0.381)で最下位でしたね。


確かに、当時の根本監督も好きにやらせており、
「楽しければ良い」という雰囲気で
好き勝手やっていた面もありますが、
戦力(駒)については、
開幕12連敗を喫するほど、
最下位になるほどそこまで乏しかった、とは、
決して言い難かったと思います。
すなわち、
駒はそれなりに揃っていたと。


ただ、大きな要因は、
生え抜き選手、移籍組の大物選手、新人らが
まとまりがないまま、準備不足のまま
開幕を迎えたことですね。


そして、その大きな一因には、
開幕前に行った
米国フロリダでの春キャンプが失敗だった
とも言われています。


確かにキャンプ地は優れた施設で行われました。
当時5千万円以上費用をかけ、約2ヶ月行いました。


しかし、深夜に到着して宿舎に入るものの、
宿舎と言っても「パイレーツの寮」らしく、
暖房も、毛布もない中、ブルブル震えて寝ていたとか。
ただ、監督はマスコミに
「フロリダは暖かくて快適!」と見栄を張っていたらしいですが。


またメジャー球団が練習に来ると、場所が使えず、
雨が降ったらもう使用許可が下りず、
ときには、
少年野球チームの隣で練習することもあったとか。


まあ、思いつきの米国キャンプでもあり、
準備が念入りに行われていなかったんでしょうね。


まさにそんな練習不足の中
マイナーリーグとオープン戦を組めるだけ組んで
練習試合を行っていたそうですが、
まとまりはなく、コンディションは上がらず。


帰国直前に立ち寄ったハワイで
サンディエゴ・パドレスとも戦い、
結局、米国キャンプでの練習試合は、
全部で19試合8勝10敗だったようですが、
本塁打は僅か1本。


国内でのオープン戦は皆無。
当然、相手の状況も不明。


そんな明らかな『準備不足』の状況下で開幕4日前に帰国。
当然、『時差ボケ』も感じながら、
そのまま開幕へ突入しましたから、
『開幕12連敗』も生じて「当然」と言えば「当然」でしたね。


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さて、今年はコロナ騒動に伴って
開幕が遅延となり、開催されても試合数が減ることが必須です。


最終的に何試合を遂行可能か?わかりませんが、
(下手すれば、例年の半分以下の試合数もあり得る)
少なくとも、
試合数が減少する中で勝負するわけですから、
その勝負を制するためには、
電光石火の如く『先手必勝』と行きたく、
『開幕ダッシュ』は大いに求められますね。


まあ、今の西武ライオンズは、
開幕12連敗した1979年や、崩壊した2015年と違って、
チーム内の『まとまり』は十分ある方でしょう。


それ故に、1979年のような
『バラバラ』から崩壊する可能性は小さいとも言えます。


しかし、このコロナ騒動で練習も満足にできていませんから、
開幕に向けて『準備不足』『試合勘の鈍化』は十分、懸念され、
その影響が生じれば、
『開幕ダッシュ』は失敗しやすくなります。


しかも、開幕は6月にできれば、それに越したことはありませんが、
まあ、今の状況なら、開幕は暑くなってくる『夏季』ですね。


当然、『準備不足』では『夏バテ』して
開幕から失速しやすくなりますね。


その問題は、12球団すべてに通じるところでもあります。


もちろんその準備には
『試合勘』も大事ですが、猛暑がすぐ来ますから、
基礎的な体力づくりなども見直すこともあり得ますね。


開幕に関しては、
1日でも早いに越したことはありませんが、
しっかり『準備できる期間』を見据えて
開幕Xデーを設定してもらいたいですね。