【メンタル問題】光成『故郷が怖いよ(>_<)』『もう故郷で投げたくないよ(>o<)』・・・おいおい。。。そんなネガティブなことを言わずに、ポジティブに強気で大胆に投げ込んでくれ!
今日は、個人的に「実際にプレーをしていない私には基本的には知ったことではない」という第三者的な立場から勝手に客観的な印象で述べたいと思います。
先日、光成、山川、森ら(方向音痴で大遅刻した天然すっとこどっこいも二人ほどいましたが(^_^))が群馬・上毛新聞敷島球場での子供らを相手に野球教室を行い、次のような記事がありましたね。
一言で言えば、「光成は故郷の球場は苦手で怖いから、もう投げたくない」ということ。。。
甲子園V腕、西武高橋光が故郷前橋で「投げたくない」わけ
12/1(日) 17:37配信(西日本スポ)
群馬県出身の西武高橋光成投手(22)が来季の故郷での登板に消極的な言葉を残した。前橋育英高2年時にエースとしてチームを夏の甲子園優勝に導いた右腕は、前橋市の上毛敷島球場での野球教室に参加。
今季は自身初の2桁勝利を挙げたが、過度な期待が重圧となるのか、過去2度の同球場での登板ではいずれも7失点と炎上。今年5月8日のロッテ戦では先発で6回まで投げたが2本塁打を含む8安打を浴び、5四死球と大荒れだった。
それだけに「もう投げたくない。野球教室だけ帰ってこられたらいい」とこぼす。来季も6月19日に同球場での日本ハム戦が組まれているものの「ローテが合わないことを祈ります。これだけやって無理なので諦めた」と語った。
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正直、メンタル面から言えば、『やばい兆候』です。完全に頭の中が『ネガティブ思考』で毒され、『逃げ』に走ってますね。
光成というと、甲子園優勝投手です。怖いモノしらずだった1年目はまだ良かったですが、プロの怖さをしってからは、あのフニャフニャした性格も相まって、メンタル面の弱さ(自信の無さ)を露呈していましたね。
確かに、入ってくるときは怖いモノしらずで夢溢れて堂々とやる気も自信も漲っていても、やはり今までに感じていなかったレベルの高い戦いを強いられますから、誰だってその怖さを知りますし、それで自信を失うし、落ち込みはします。
問題は、その後にあり、その凹んだ心理状況から、前を向いてどれだけメンタルを強くして戦えるか?否か?が将来の命運を左右する一つの分岐点になりますね。
一方、同じ甲子園投手の今井の方は、フォームの不安定さなど技術面で課題を残しますが、メンタル面では、事前はビックマウスで言うことは立派、一方、実際に苦しくなると、恐怖心から来る「逃げ」というより、(悪い表現ですが)気の短さから来る「投げやり」の方が強い印象があります。
その極度な例が、先日、戦力外になった高木勇人(国際トライアルでMVPだったらしい)でしたね。高木の場合、顔の表情にそれが露呈し、投げやりになって「もう何でもいいよ」となって投球が雑になりやすいタイプでした(気は短いですね)。
ただし、今井の場合、今年は『味方が得点を獲った直後に失点して獲り返される』を繰り返しましたね。別に逃げているわけではないんですが、味方が得点してくれたのに、当たり前のようにそれを吐き出してしまう。。。
それは『失敗を意識しすぎてしまっている』というネガティブ思考による影響であり、結局、ポジティブ思考で切り替えることができてない結果なんですよね。後述する「ポジティブ思考で切り替えていくための手法」ができていないという結果でもあります。ある意味で、トラウマというやつですね。
一方、恐怖心から来る「逃げ」タイプというと、光成、誠、本田(今年はメンタル強化)や戦力外になった郭俊麟とかの印象があります。
さて、光成の群馬話に戻りますが、光成は「上毛新聞敷島球場」ではフルボッコの思い出しかなくて故郷に錦を飾れず、相性は悪いですね。確かに、故郷での戦いですから、沢山の知り合いも大いに期待いながら観に来ますので、「格好良いところを見せてやろう」「良い結果を出さねば」と過度な期待が重圧を感じますね。
というか、過度の期待から重圧を感じるのは当たり前なんですよね。感じない方がおかしいです(天然で鈍感の平良でも感じるでしょう)。その重圧を感じるのは、故郷での戦いだけではありません。日本シリーズやCS、優勝を決する終盤など、重圧を感じる試合はいくらでもあるのが当然なんですよね。
ある意味、大事な試合での「重圧」というのは心理的に「脅威」になります。その「脅威」を目の前にしたとき、脅威に対して闘うか?逃げるか?を迷い、生理的覚醒(胸がドキドキしたり,呼吸が速くなったり,汗をかくなど)が引き起こされます(「闘争か―逃走か」反応)。それが「あがってしまう」「緊張してしまう」ということであり、人なら大なり・小なり感じて当然の感情です。
そして、良くも悪くも「結果」は必ず出ます。そのときに色々問題があってのことでしょうが、そりゃ「打たれまくる」ことばかりが続くことも当然あるでしょう。
そのような当然がある世界で繰り返し戦っているのですから、打たれたことへの反省はしなければなりませんが、反省したら、もう「そんなことあったっけ?」「そんなことあったね(^_^)」と忘れるくらいか、ポジティブに考えていきたいですね。
そこでネガティブに考えては、それが『苦手意識』を生んで強まり、実際にその後が深刻な苦手な状況(十亀の熱男アレルギーの如く)になってしまうという負のスパイラルに陥り、身が持ちませんね。
ポジティブに考えても、ネガティブに考えても、既に起こってしまった結果は変わりません。そこで、次ぎにつなげるために、起こってしまったことに関して「どのような解釈をするのか?」、その違いで次の結果が異なりやすくなります。
例えば、ピンチ時に強打者を迎えたとき、ベンチからコーチがマウンドへ行って「ど真ん中に投げて一発ホームランを打たれるなよ」「四球を出すなよ」「高めの甘い処に投げるなよ」とか言うのは『禁句』ですね。
投げる方は、その否定的要望の助言によって「真ん中」「四球」「高めの甘い処」を意識してしまうので(自分では自覚が無くとも)、身体が勝手に「真ん中」「ボールコース」「高めの甘い処」へ吸い込まれるように投げやすくなってしまいます。
十亀の熱男アレルギーは、人から言われてではないですが、「いつも打たれている」とネガティブな思考により、普段から養われて心奥底に強く根付いている『苦手意識』により、「打たれたらダメだ!」と自分で自分に暗示をかけてしまい(自分では自覚が無くとも)、身体が勝手に無意識に吸い込まれるように真ん中付近へ投げてしまい、打たれてしまうを繰り返しますね。ある意味、今までがやられすぎたことで生じたトラウマですね。
もちろん「苦手なら逃げれば良い」ということもありますが、十亀の熱男アレルギーのように深刻になっていない限り、それは避けたいですね。そんなことを簡単にやっていたら、開幕戦で逃げ、優勝を決する大事な試合で逃げ、CSで逃げ、日本シリーズで逃げ、何でも逃げてしまうこと(逃げなくてもいつもアップアップ)になってしまいますね。
確かに光成は、故郷でフルボッコに打たれまくってますが、本人は「これだけやって無理なので諦めた」と言っているけど、そもそも、その「これだけ」って一体「どれだけ?」、たかだか3試合ですよね。もともと、高校野球では勝っていた球場なんですから。
もしかしたら後援会など故郷の知り合いから「打たれたこと」を何か言われたかもしれませんが、「嗚呼、今日も故郷で打たれまくちゃったよ」「オレはやっぱりダメだ」「期待されてしまう分、重圧がきつすぎるよ」と嘆くのではなく、「今日も故郷に錦を飾れなかったけど、まあ元気な姿を見せることはできたんだから、次は頑張ろう」、「今日もボコボコに打たれてしまったけど、次はスキルアップして打たれまいぞ」「今日も打たれてしまったのはもうしょうがない。次は打たれないために、どこを改善すべきか?考えよう」など前を向いてポジティブに考えたいですね。
もし試合中だったら、四球を出したり、打たれたりして、ピンチになったとき、やらねばならぬことは、その失敗に目を向けず、自分が今できることは何か?に意識を集中すること、そして、自分の頭の中で常に打ち取った姿をイメージし、「自分はできる」と自分に暗示をかけて、次のプレーに集中することが大事ですね。
野球に限らず、ネガティブとポジティブでは大きな差が生じやすいですね。生体に与える影響も異なってきます。
メンタルトレーナーを個人的につけて頭角を現した本田や、戦力外になりましたが、全く投げることができない状況から一応、それなりに投げることができるようになった郭俊麟あたりは、投球中にニヤニヤしている姿(表情)が見受けられましたね。それは笑うことでポジティブ感情で埋める心理状況を作りだすことに努めているからです。特に、苦しいときこそ「笑え!」というのは効果的な策でもあります。
一般的に、ネガティブ、ポジティブの心理については、「永続性」「普遍性」「個人度」で表現されます。
「永続性」では、ネガティブの場合、悪いことがいつまでも続くと考えがちです(これからも故郷では打たれるよ)。一方、ポジティブの場合、悪いことが一時的なものと考えがちです(打たれたけど、次は打たれまい)。次ぎに進めるか?進めないか?の分岐点になります。
「普遍性」では、ネガティブの場合、原因が全般にあると考えがちです(オレは実力が無いから、才能が無いから)。一方、ポジティブの場合、原因が特定にあると考えがちです(打たれたけど、〇〇は良かった。でも打たれたのは何か原因があるからだ)。要因を適切に分析して、次ぎに改善できるか?できないか?の分岐点になります。
「個人度」では、ネガティブの場合、オレのせいで負けたと考えがちです(オレが全て悪い)。一方、ポジティブの場合、他のせいで負けたと考えがちです(アイツに上手く打たれてしまった)。これはただの言い訳で終わってはダメですが、次へ切り替えられるか?自分を責めて切り替えられないか?の分岐点になります。ある意味、楽観的な方(割り切った方、腹をくくった方)が良い結果を生むこともありますね。
それでもフルボッコに打ち込まれれば心理的に凹みますね。それも人間心理であり、当然、生じる感情です。でもそのまま凹んだ状態を続けていてネガティブになっても明日はありません。それをポジティブ思考に変えて切り替え、次ぎにつなげて巻き返したいですね。とは言っても、言葉で「切り替えます」と言っているだけでは、自分に「切り替えなきゃ」と暗示を多少は掛けられるものの、なかなか切り替わらないものです。
ポジティブ思考で切り替えていくための手法として、よく言われるのは、①その失敗を完了させること(過去のものにすること)、そして、②次に過剰に意識しすぎないこと(トラウマを感じないこと)ですね。
上記①については、「終わってしまったことはもうしょうがない」と引きずらず、次に向けて、反省をしたことで何かを「学んだ」という実感を持つことが大事ですね。俗にいう『失敗を糧にして』ということですね。
それにより自分の中で「もう失敗したことはお終い」と完了することができ、時間の経過とともに「嗚呼、こんな失敗をしたよね。でもそのおかげで学べたんだな」と認識するようになります。
そして、次の舞台で上記②が大事になります。当然、「今度は巻き返してやろう!」「今度は打たれないぞ!」「同じ失敗は繰り返さないぞ!」と意気込んでしまいます。しかし、それを意識しすぎると、、、それが重圧になり、トラウマを思い出し、変な力みを生んで実力を発揮できず、身体が勝手に失敗を繰り返してしまいますね。
もちろん、人間ですから1度の失敗で立ち直れず、失敗を何度も繰り返しますね。学習能力は無いのか!とヤジられますが。しかも、上記②の「意識しすぎないこと」はそう簡単にできることではありません。だって人間なんだから「意識」するのが当然なので。
しかし、何度も繰り返そうとも、その度に上記①②の手法でポジティブになることを繰り返していけば良いと思います。
その中で失敗を学んでいるわけですから(上記①)、いずれはその学習が実となり、上記②の意識しすぎないことも身についてきます。その結果、いずれは失敗を繰り返さなくなり、自分自身もステップアップできます。
なお、その上記①②に関しては、様々なことで該当し、それは各々で時間軸も違ってきますね。1試合1試合の短期的な話であったり、1年1年の長期的な話であったり。それぞれで対応しつつ、それらをこなしていくから人は成長するんですね。
さて、当事者(やっている選手)らはネガティブ思考になるな!というような主旨のことを書きつつも、第三者的な立場から勝手に客観的な印象で書いているとはいえ、ネガティブなことを書いてきましたが、ちょっと説得力の無い本末転倒ですね。
一応、最後に、、、ポジティブなことを。。。
光成は甲子園優勝投手であり、ダイナミックに投げ込めば、そう簡単に打たれる投手ではなく、一流な獅子のエース級になれる逸材なんだから、「打たれたらどうしよう」なんてくだらないことを考えず、「打てるもんなら打ってみろ!」「そう簡単に打てねぇぞ!」くらいの強気で大胆に投げ込んでくれ!大胆投球のお前なら一流打者が相手でも抑えられる!
今井、松本、多和田らとともに獅子ドラ1四銃士として、獅子の栄光をもたらすことができる逸材だから、自信を持て!故郷でガンガン投げろ!
ところで、多和田は不整脈だっけ、、、早く帰って来い!
ビール瓶で指を鍛えてないで。
光成よ、昔の君はこんなことを言っていたんだ。思い出そうよ!
ところで、野球教室で群馬県に向かったつもりが、山梨県へ走ってしまって大遅刻した将平くん&平良くん。。。さすがランドセルを忘れる小学生級の天然ですね(^▽^)/
まあ、社会人としてはまだまだだけど、大物になるよ、君たちは!
昔、出張行くのに飛行機を乗り間違えた奴がいたけど(チケット買い間違いでそのまま乗り込んでいたみたい)、今ではバリバリ働いてますよ(^▽^)
