【昔話】『西武ライオンズ球場』四方山話
このコロナ騒動で野球界も静穏状態であり、
最近、マスコミもネタがないため、
プレイバック記事が多く目立っておりますね。
さて、本ブログでも今日から2回に分けて
プレイバック的に投稿したいと思います。
(前回もプレイバック的な話でしたが)
まず今日はドームの前身である
『西武ライオンズ球場』について、
文献(施工に関する文献)を紹介したいと思います。
昨年の今頃、平成最後の日として、
以下のブログを投稿させていただきました。
そのときのバック資料の一つでもあります。
ただ、結局、昨年はあまりこの文献は触れずに書いてしまいました。
今日はそのままダイレクトに文献を紹介させていただきます。
「土木施工20巻6号」(1979年6月)に掲載された
「西武ライオンズ球場建設工事」(田中郁夫)の文献です。
西武ライオンズ球場は、
自然豊かな狭山丘陵に築かれる特性を踏まえ、
上記文献にもありますとおり、
①自然景観と融合的に調和した球場
②あらゆる面で来場者へのサービスを優先した球場
③自然環境、社会環境への影響に配慮し、
その対策に万全を期す球場
という基本理念の基に
「パークヒルスタジアム(丘陵公園球場)」を目指していましたね。
そのうち、③に関しては、
「環境影響評価」を行ったことが書かれています。
「環境影響評価」(環境アセスメント)というのは、
建設に伴う環境への影響を調査・予測し、
影響があれば対策(環境保全措置)を講じて、
それで環境影響が回避・低減できているかを評価するものです。
ただし、この「環境影響評価」が本格化したのは
平成11年に「環境影響評価法」が策定されてからなので、
当時の昭和50年代後半では、
今ほど濃く調査・予測は行ってなく、
今でいえば、
かなり簡易的に行われたレベルと思います。
ただし、西武ライオンズ球場が建設される前には、
(西武ライオンズが所沢に来る前には)
狭山丘陵の「自然環境」への影響は懸念されましたが、
地元からは、車公害(渋滞)問題を基に
「西武ライオンズが所沢に来ること」に反対する声もありました。
しかし、鉄道会社も持っているわけですから、
観客を西武鉄道で球場へ来させることで
儲けたかったわけですから、
電車利用PRを徹底的に行い、
観客の90%を電車輸送することを計画していました。
入場券は各駅で電車の切符とセット販売するなども
行われてました。
それでその車公害(渋滞)問題はクリアしました。
まあ、結局、野球開催時には「渋滞」しており、
地元からするとそのときに車は出したくないわけですが、
球場があると、ないでは大違いのため、
それは気にしてないところであり、
(でも所沢マラソンのときは絶対、車はNG)
地元地主の方は駐車場でお小遣いを稼いでいますね。
また西武が勝ったり、
ホームランが出るときに打ち上げる花火について、
騒音レベルが環境基準45ホンを上回る98ホンになるとか
騒音問題の苦情もあったそうです。
また上記文献の表-1にあるように、
当時の既設球場と比べると、
広さは他球場に負けない規模を誇っていましたね。
ただ、球場建設工事は、
開発認可が承認されてから
翌年の開幕に竣工を間に合わせなくてはならなかったので、
かなりの突貫工事が強いられていたようですね。
上記文献の図-5の工事工程を見てもわかるとおり、
10ヶ月というのは基本的に時間が足りず、
いくつもの工事種類を重ね合わせて(ラップさせながら)
施工が進められております。
また地質は、降雨が伴うとかなりの湿潤状態になるため、
比較的、浅い掘削土工といえども、雨季も施工するため、
雨に降られると施工工程がさらに過密化しやすくなりますね。
しかし、実際にはカラ梅雨で終わり、
天候にはかなり恵まれたようで、順調の工事になったようですね。
この施工の作業員は延べ15万人、
繁忙期で1日450人と多くの方が施工に関わりました。
西武ライオンズ球場の特徴の1つとしては、
上記文献の図6に示されているように
『掘り下げ式』になっているところです。
普通なら現地盤を平地に均してから、
建築物を建設していきますが、
上記文献に書かれているように
西武ライオンズ球場の場合、丘陵地だったことから、
山腹急斜面を覆うように観客席を設け、
尾根上のところを通路として利用したように、
丘陵地の凹地形を生かしたことが1つあります。
その「掘り下げ式」であることから、
スタンドの傾斜は緩やかであり、
比較的、広めのスペースにもなっています。
(神宮とかはきつくて狭い、ヤフオクもきつい)
また、観客席の下に暗い通路や部屋は設けられてなく、
例えば、他球場のような屋内通路はなく、
基本的にどの通路も「オープン状態」になっており、
全体を俯瞰することができ、明るい雰囲気を醸し出すよう、
(ネット付近に行くには半周歩くことになり、
最前列の座席なら全階段を昇降しなければなりませんが)
そして、
火事・地震などの緊急時の安全性にも配慮されています。
(ただ球場内外の出入口の数が乏しいことが今では課題ですが)
バックネット裏の球場ビルは、
一応、事務所&機械室が地下にありますが、
観客席とは縁切りになっており、
お客さんらは全て地上でもてなす形になっています。
また上記文献では、
「内外屋のプレイグラウンドとスタンドとの擁壁も
設計者がランダムに引いた曲線である」とありましたね。
曲線の角度がすべて特異であったことから、
施工はかなり面倒だったと思います。
ただ、そのランダムになっている理由としては、
各々の席がマウンド方向を向いており、
野球観戦しやすくするように配慮されたこと
が言われています。
すなわち、
上記の基本理念②に基づいた配慮ですね。
ちなみに、
今年から内野指定席エリアの約16,500席が
グラデーションカラーに変身しましたね。
まあ、グラデーションというよりは、
『マダラ状』『モザイク状』『パッチ状』という印象ですが。
それで昔の緑色シートは、
チャリティー販売されましたが。
ところで、昔の座席シートも、
周囲の自然環境との調和を図るために緑色とし、
米国からの直輸入で仕入れたものであり、
観客の疲労抑制(疲れにくい)に配慮された設計になっており、
建設当時としては、上物のシートになっていました。
緑つながりで述べると、
人工芝についても、
ナイロン製で当時のMLBで多く用いられている素材であり、
順目、逆目がなく、耐久性に優れており、
また、ねじりをもたしていることから、
弾力性があって、復元力に富んだ性能になっていましたね。
ちなみに、外野席は
今のような緑色のシートではなく、
天然芝で覆われており、
子供らは友の会に入って入れば無料で観戦できましたね。
またスコアボードも
当時にしては最新鋭のものであり、
電球の多さはものすごく(概ね3万6千個)
中央の画面(ここだけで電球が概ね1万6千個)も
ハーフトーン方式が用いられて
TV画像やVTR動画も流暢に流れて
選手紹介でも顔写真が映像化でき、
鮮明に見ることができる代物でした。
(今では当たり前になっていますが)
また、撤去直前まで雨漏りしていた室内練習場も
当時にしては、他ではあまり見られない
ビデオ装置などを取り付け、
ピッチング状況等を確認することができました。
ちなみに、
ベータが1975年に開発され、
VHS第1号機が1976年(日本ビクター)という時代です。
そして、他球場と違った大きなポイントは、
スコアボードの広告以外、
『フェンス・スタンドに
広告が一切無く、グリーン一色』
だったことですね。
まあ、その後、西武も経営が苦しくなって、
収益を上げるためにドーム化のときに
『広告』を取り入れるようになり、
今では昔と違って『広告』だらけですね。
ヤフオクの方が映像のCMがエグいほど多いですね。
投げた直後にカウントを見ようとしたら、
もうCMが流れていますかrね。
稼ぐためなのか、CM量が多いですね。
確かに収益のために必要ですが、個人的には、
当時の「広告無し」は落ち着いた雰囲気で好きでしたね。
さて、今日は『西武ライオンズ球場』を振り返りました。
次回(←多分)は
『西武グループが狙った開発構想・夢物語』を
とりまとめたいと思います。