下手の横好き(馬と獅子が好きです)

主に西武ライオンズ、競馬のことを主に書いています。

【昔話】西武グループが狙った開発構想~夢物語~ 信じるか信じないかはあなた次第です(^o^)/

本来なら楽しいGW(Golden Week)のはずでしたが、
今年はコロナ騒動により、町はGW(Ghost Week)、
心は浮かないGW(Glum Week)
またはGW(Gaman Week)ですね。


メラドは暑い、寒いが著しい球場ですが、
このGWを含む桜&新緑の春季が最も良い季節なのに
そこで野球観戦ができぬことが悲しいですね。
1日でも早く、野球が、観戦ができる日が来ることを願っています。


そういえば、
一昨日の前回投稿で「西武ライオンズ球場」について述べました。
シートが「グリーン一色」になったのは
自然との調査を意識して「緑色」になったわけですが、
当時の巨人の王さんのアドバイスも影響があったらしいですよね。
色の指定はなかったですが、王さんは
当時、後楽園球場の座席の色がバラバラだったので
色を統一した方がプレーに集中しやすい」とか。


ところで、現在、パチンコ屋が問題になっていますね。


店名を公表することで休業する店も増えましたが、
逆に『うち、やってますよ!』と宣伝になってしまっている。


そりゃ、当然です。


私はパチンコはやらないですが、
もしハマっていたら、多分、私も行っているでしょう。
もしプロ野球が普通の形式で強行されていたら、
多分、私も球場へ観戦に行っちゃうでしょう。


最近問題になっている「ギャンブル依存症」の問題につながりますが、
株とかでも、なんでもハマる場合の思考回路としては、
どこかで「勝てる」ことが前提と考えてやっています。
いわゆる好都合の発想ですね。
「負けはするけど、買わねば勝てない」という発想になります。


まだ流れを鑑みて、リミットを設けていれば良いですが、
それで流れも無視してリミットが外れてしまうと、
「まだ大丈夫」「次は大丈夫」となってしまいます。
この発想が依存度を高めていくところですね。


競馬で例えれば、1~11Rが全敗で
最終12Rに逆転一発を狙って
大きく賭けてしまうようなもんですね。
そこで「流れが今日はない」と悟って帰ればいいのですが。


確かに昔から言われている「必勝法」というのは、
単勝を買う。外れたらその倍額を張る。
また外れたらさらにその倍額を張る。
そして当てたらそこで止める。
ただし、これには莫大な資金が必要になりますね。


まあどんな対象物でも「依存症」というのは
そういう「その後を「まあ、いいか」と
安堵し我慢できぬ」
面が強いです。
「あと1本だけ」「あと1杯だけ」それなら「大丈夫」と。


当然、コロナに対しても「感染するかもな」と思いつつも、
パチンコそのものと同様に
「まあ、ちょっとくらい大丈夫だろう」
というところが思考の基盤なので
さらに「やることもないし」が加わって
躍起になってしまい、もうそれしか見えなくなってしまう
いわゆるアホの典型ですね。


薬物なら「悪いとわかっちゃいるけど」
「もう1回くらい大丈夫だろう」の発想
ですね。


だから、客層を考えれば、
公表は「おっ、この店やっているぞ!」と
宣伝
になりやすいですよね。


ある意味、
スーパー等があちこちで休業になったとしたときも、
公表が逆に宣伝になってしまう
可能性は否めないでしょうね。
これはギャンブルではないですが、
食料等の商品が欲しいですから、
「ちょっとくらい大丈夫だろう」と殺到するでしょうね。


いわゆる、
人間の「欲」と「制御」のはざまで葛藤する心理ですよね。



店を開いていれば、客は集まる
特にパチンコ店だと
「制御」できぬ者が多いから「なおさら」です。


まあ「客が集まらなければ」商売にもならないから
閉めることも考えるでしょうけど。
つまり、逆を言えば
「客が集まるから」店を開く価値が増すわけですけど。


ただ、パチンコ店も休めば収入激減ですが、
そもそも業界全体で
お上からお目こぼしで栄えてきた業界
です。


まあ、今まで同様、強力なバック次第ですが、
そんな背景を鑑みると、
それだけに、こういう有事にお上に反すれば、
今後、業界に規制等の逆風が吹き

長期的な観点から
業界委全体で「損」になる可能性が高まりやすいんですけどね。


こんなときに客が集まらないように、
換金所におまわりを立たせておけば、
という声も上がっていましたが、
今までお目こぼしになっていた
「景品取得→別場で換金」
ここを突かれたら
その一発で業界は終わる
んですよね。


まあ、個人的にパチンコはやりませんが、
中には「無くなってしまえばいい」という意見もあるでしょうが、
地方の楽しみでもあるから、そこまでは言いません。
ただ「もう少し上手くやろうよ」とは言いたいですね。
何でもそうですが、
そこは「生き残り」の策でもありますね。


今までは強力なバック等で抑えていたかもしれませんが、
お上がお目こぼししてくれていて成り立っていた業界なだけに
そのお上を敵に回してしまったら、
損はあっても、得は目先の収入以外に無いですよね。
逆に今後、規制等で厳しくされて
淘汰されるようになったら
目先の収入とは比べ物にならぬほど「損」になりますよね。


それはあまりにも「愚か」としか言いようがありません。


こういう「なあなあ」でやってきた業界こそ
こういう有事では「襟を正した」方が得策だと思いますよ。
逆にその「なあなあ」が厳しくなってしまいますから。


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さて、前置きが長くなってしまいましたが、
今日は昔話の一環として、
「西武グループが狙った
 開発構想~夢物語~」をまとめます。


ただし、これらはあくまで
「噂」レベルの話もありますので、
裏で実際は違っている、という可能性もあります。


信じるか信じないかはあなた次第です(^o^)/


あくまで「夢物語」として書きたいと思います。


文献は、怪しい書物ですけど、
「西武グループが狙った開発極秘図」
(1989、真鍋繁樹、PLAY BOOKS)
を中心に参考としました。


まあ、西武グループといえば、
堤義明氏の独裁体制で彼の表・裏の豊富な人脈をフルに活用し
鉄道や百貨店等もありましたが、
ホテル等を含めながらリゾート開発や
ニュータウン構想に基づく開発などへ
大いに力を入れていました。
不動産も多く手中に収めていました。


堤康次郎氏の時代には
大泉、小平、国立の学園都市構想の開発もありましたね。
http://153.153.165.240/group/history/pdf/SeibuHD_history_02-03.pdf


ライオンズもビジネスの一環として買収しましたね。


野球場は観光事業の延長と考えています。スキー場を1カ所造るのと同じ感覚なんです。西武鉄道沿線の良い場所に立派な設備の球場を造ってファンを大事にすれば、年間最低100万人以上を動員することが可能です。東京プリンスホテルには300万人、苗場スキー場には200万人以上を呼んでいます。その点、西武球場は入場者数を150万人見込んでおり、グループの観光事業としては7~8位というところでしょうか」と述べてましたね。


初年度は連敗、負け続け状態でしたが、
目新しいレオマークのグッズだけ31億円の売り上げがあり、
8月には100万人超の観客数に至りましたね。



もともと西武鉄道プロ野球の関係については、
今の西武ライオンズが最初ではなく、
1936年に設立された
「東京セネタース」から始まります。


その「東京セネタース」が
名古屋金鯱軍と対等合併して「大洋軍」が結成され、
西日本鉄道(西鉄)に経営移譲され「西鉄軍」に改称され、
戦後1950年に「西鉄クリッパース」が誕生し、
その翌年1951年に西日本パイレーツを吸収合併し
「西鉄ライオンズ」が誕生します。
その後は、「太平洋クラブライオンズ」
「クラウンライターライオンズ」と経て
1979年、西武鉄道(グループの国土計画)が買収して
「西武ライオンズ」が誕生しました。


途中で譲渡・買収があり、戦争を挟んで切れて誕生したりしましたが、
結局、西武グループの手元へ球団が戻ってきましたね。


ただし、堤義明氏は、
最初、横浜球場建設にも絡んだことから、
大洋球団の買収を図ろうとして
株を40%程度を取得していましたが、
大洋球団が警戒してそれ以上の株の譲渡を許さず、
大洋球団買収は失敗に終わりましたね。


その後、ロッテやライオンズの買収計画を模索し、
周囲はセ・リーグ球団の方が良いという声もあったけど
堤氏が敢えてパ・リーグ球団を選び
結局、ライオンズを買収しましたね。


しかし、堤氏は、
「長嶋氏への監督要望」や「清原への溺愛(白紙小切手等)」、
「清原、一年目から一軍で使う方針(当時、森監督は二軍スタートを推す)」
「東尾マージャン賭博事件からのトレード話の阻止」など
強い面はありましたけれども、
基本ベースは「私は野球をしらない」と言って
細かいことは口を出さず、球団社長や根本氏らに一任し、
『金は出すけど、口は出さない』オーナーであり、
今の楽天のようなことはなかったですね。


清原が入団する前の堤氏のコメントでは、
「ボクもね、そりゃ近くまで来たときは監督や選手らに会いたいと思いますよ。でも、ボクがそれをやっちゃいかんのですよ。仮にボクが個人的に誰かと会ったり、声を掛ければ、やっぱり人間ですから、その選手に情が移ることがあるでしょう。そうすると、現場をあずかる監督もやりにくくなるし、他の選手も面白くなくなるでしょう。すると目に見えないところで、チームワークが乱れることになる。ボクは、監督も含めてすべての選手に公平でありたいと思っているんです。だから球団では根本以外に会わないことにしているんです」と言っていましたね。


また球団を持つまで堤家は一家を挙げて巨人ファンであり、
特に義明氏の長男・康雄氏が野球好きで巨人に入れ込み、
王氏などとも懇意している仲だったそうです。
しかし、西武球団を所有するようになってからは、
康雄氏もあらぬ疑いをかけられたり、王氏らに迷惑が掛からないよう、
巨人のロッカーに出入りをしなくなったそうですね。
1983年の日本シリーズのときも
藤田監督から「どうぞ」と勧められたけど断ったとか。


脱線しましたが、西武グループというと
とにかく「開発」に力を大きく注いで発展してきましたね。
まさに昔あった「国土計画(株)」なんかその代表ですね。


しかし、戦後から高度成長期が過ぎて
人々に余暇ができてきたころは良かったですが、
バブルも弾け、
世間も昔と違って贅沢になってきてニーズも多様化し、
観光に関しても、国内でとどまらず国際化が進み、
その中で、西武グループ自体にも色々あって下降し、堤氏も失脚し、
夢物語も一部は実現しつつある計画もありましたが、
今では『夢』で終わってしまったところが大きいですね。


さて、その「夢物語」の噂を一部、紹介していきましょう。


Ⅰ.通勤圏100km構想(有楽町~秩父)
 <秩父リゾート構想>


まず概要から。


バブルの頃、東京の地価はもの凄く高騰しました。
地方もその煽りを受けて高騰し、全国でバブルが膨らんだ時代ですが、
東京への通勤圏(短時間で安価で通勤できるエリア)が広がれば
周辺の地価が上昇し、相対的に東京の地価高騰が抑えられるのでは、
という発想などが基盤になっています。


確かにバブル期の頃は、東京に高すぎて家を買えないので、
地方へ買って「新幹線通勤」とかも散見しましたね。
新潟県の長岡とか、静岡、福島などもある意味で
新幹線を活用した「通勤圏」になる例もみられていました。
しかし、その通勤費は高価になり、
当然、景気のいい時しか通じないですね。



でも、それが安価に通勤できるならば、
その鉄道網を敷くことができれば

(私鉄の場合、JRと比して安価にできます)
「通勤圏」の拡大も夢ではなくなります。


ただし、鉄道網を広げるといっても、
鉄道など開発事業展開面倒なのは「用地買収」ですね。
それが時間を要する大きな要因になりやすいですね。


そこで目を付けたのが、
昭和63年に閣議決定された
「総合土地対策要綱」で挙げられた
「大深度地下利用」ですね。


それを嗾けたという噂もありますが。


狭い国土の中で「地下利用」を活かしながら開発していく
という発想であり、その数十m以上の深い地下
地上と違って『土地の所有権を誰も持たず』と解釈して
(地権者による通常の利用が見込まれない空間)
今まで面倒だった「用地買収」を略す利点が生じてきます。


すなわち、地下鉄や水路など、大深度地下を利用しながら
社会資本整備を行っていくための突破口ですね。


その大深度の地下を活かしながら(特に東京側)
そこに鉄道を敷いて、
通勤圏を今の40~60kmを100kmまで拡大
秩父から有楽町へ1時間程度で通勤できるようにする
それができれば、西武鉄道を使いながら
秩父も人が住むようになり、十分活性化する、
その100km圏内でニュータウン構想なども展開できる
という野望ですね。


今となって見ると、結果として、
その大深度地下の利用は大いに活用されるようになりました。


平成12年に
「大深度地下の公共的私用に関する特別措置法」が策定
され、
首都圏、近畿圏、中部圏を対象に
地下鉄、道路、河川・水路などが
その大深度地下を活用しながら整備されるようになりました。
http://www2.retio.or.jp/30th/06_daishindo_chika/h25/h25_06_koho.pdf


例えば、最近、実現しつつある外環道などがそうですね。
住宅が密集する
東名高速(東名JCT)~関越道(大泉JCT)間あたりは代表的な計画です。
リニア新幹線も大深度地下を利用する計画になっていますね。


神田川地下調節池なんかは、
事業の認可時にはこの特別措置法ができていなかったことから、
(第一期:昭和62年認可、第二期:平成2年認可)
その特別措置法が適用できていませんが、
「地下空間」を有効活用する考え方に基づき計画されています。


最近、実現している圏央道も八王子付近は地下利用をしていますね。


ただし、この大深度地下に関しては、
公共的な使用に限るものであり、
民間施設などに対してはNGというのが一つのポイントです。


例えば、大店舗を築くとき、
その大深度を利用して整備することはできません。
それをやってしまうと、
そのエリアの大深度地下はその民間のモノとなってしまい、
『土地の所有権を誰も持たず』の原理が崩れ、
国家が何かそこに築きたいときにその支障が生じるからです。
でも、そこを使って「私鉄が通る」はOKです。


そして、秩父開発に話を戻すと、もう一つの大きな柱が
昭和62年に策定された「総合保養地域整備法」(リゾート法)ですね。


その「リゾート法」に便乗した
『秩父リゾート構想』が展開されました。


秩父は埼玉県が申請し、平成元年、
全国で8番目に承認された計画であり、
当時、4地区で整備する計画になっており、
特定地域99千ha、重点整備地域12千haの広さを対象にしていました。
結局、バブルも弾け、
平成18年には構想廃止になりましたが。


もちろん、西武グループにとって、
そのリゾート法は秩父のみならず、
秋田の八幡平・阿仁・田沢地域、岩手県の三陸地域、
北海道の富良野地域、新潟県の十日町市やその周囲、
宮崎県の日南海岸などで、
全国各地での開発展開を見据えていました。
宮崎県の日南海岸地域は
リゾート法の適用第1号になり、開発が進められましたね。


そんなことだから、このリゾート法は、
堤氏が早大の観光学会の後輩である小渕氏に云々という
政治への根回し、、、という噂もありますが、


そのリゾート法で全国42地域が承認され、
それら計画が進んでいましたが、バブルも弾けて滞って、
秩父を含めて9つが廃止になりました。


もともと、西武グループの秩父観光開発というと、
1971年に開業した『秩父ファミリーパーク』がありますが、
これは失敗に終わりましたね。


このパークは、当時、西武が市有林を購入するとき、
秩父市側が「無秩序な開発」を恐れて、
市有林の土地は「公園」として必ず整備すること
という条件を提示してきたことからパーク開園になりました。


西武としては、それを足掛かりに、小規模なパークで終わらせず、
第二の軽井沢、箱根を目指して大規模で開発をしたがっていましたが、
秩父市側は「一企業が広大な土地を独占することは
地域の土地利用計画へ支障を及ぼす」と賛同せず
また取得した土地も蚕食状態であり、
まとまって広大に得られなかったこと
から
その野望は潰え、結局、そのパークも失敗に終わりました。


横瀬村と進めた芦ヶ久保の方は、、村の賛同も得られたので、
軽井沢などのように大規模に展開はしていませんが、
今でも果樹公園村など、細々と営業は行っていますね。


そして、そのリゾート法に便乗した
「秩父リゾート構想」の基、建設されたのが
1991年に開園した『秩父ミューズパーク』ですね。


ミューズパークは、
西武鉄道と埼玉県の共同開発となりましたが、
地元の子供らは利用するようになりましたが、
観光でわざわざ来る」という感じにもならず、
赤字続きとなって、
2006年には秩父市へ無償譲渡し、西武が撤退しました。
一応、平成28年度の利用者は5万人くらいであり、
市の公園としてはまだ良いですが(それでも少ない)、
リゾート経営をするには少なすぎますね。



そそそも、秩父以西において、
小鹿野町を経て長野方面へ鉄道を延伸し、軽井沢へつなぎ、
有楽町~秩父・小鹿町~軽井沢という大構想もあったとか。


それだけに、通勤圏100km構想は、
ある意味で、その大構想の途上とも言えたのかもしれません。


都心の地下鉄への乗り入れについても、
今では各私鉄・JR(中央線へ東西線が)が
やって当たり前になっており、
西武鉄道も、有楽町線で有楽町、新木場へ、
副都心線で新宿、渋谷を経て横浜方面へつながっています。
秩父側は、秩父鉄道への乗り入れをやっています。


ただし、西武はその競争に出遅れた面はありましたね。
有楽町線にしても、競争相手だった東武鉄道が先行しましたね。
(本数は東武東上線の方が多い。今はエストレインができましたが)


西武新宿線に関しては、
直通乗り入れは実現しませんでしたね。
高田馬場で東西線に乗り換え可能ですが、
東西線は中野側がJR中央線、千葉側が京成に乗り入れ、
高田馬場は単なる乗り換え駅です。
本川越駅、西武新宿駅も単独ですね。


ただし、西武新宿線の西武新宿駅が
歌舞伎町の横と、何であんな半端な位置にあり、
新宿駅とつながっていないのか?
色々と諸説があるようですね。
〇新宿駅東口の駅ビル建設に西武が反対だったとか
〇堤康次郎を裏切った五島慶太が戦中に
 関東圏の私鉄を牛耳ろうとしていて、
 鉄道総局と組んだ「交通統制」に凝りてとか
などなど


いずれにしても、現在の地下鉄への乗り入れも
各社で共存共栄の関係になって「実現」していますが。


秩父の方に話を戻しますと、
『秩父ミューズパーク』も今や秩父市にとって必要な存在ですが、
基本的に西武の『秩父リゾート構想』は失敗に終わりました。


その後、西武側も下降線をたどる中、秩父に衝撃が走ったのが
2013年の『サーベラス問題』でしたね。
このとき「西武秩父線等の不採算路線は廃止すべき」
という要求が突き付けられましたね。


今となっては、それも目を覚ます一撃であったわけですが。


結局、地元の方も目が覚めたのか、
地元主導で行いつつ、西武もそれに手を貸す形で
『秩父の観光』を盛り上げることになっていきましたね。


アニメ等のコンテンツを活用しながら客を呼び、
西武の方もCMを徹底的に流し、駅前温泉も築きました。
(川越や飯能もCMを流してますね)
また2016年には、
秩父夜祭がユネスコ無形文化遺産に登録されました。


軽井沢などのような大規模観光地には至ってませんが、
今は、秩父も地元と西武が一体となって共同・連携しながら
地道に観光名所として栄えるよう努力を続けていますね。


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Ⅱ. 幻の奥多摩計画(第二の箱根)
「箱根」に関しては、日本で有数の観光地になっていますね。


西武と東急系小田急がその箱根の覇権を争い
(堤康次郎と五島慶太の争い)
「箱根山戦争」と呼ばれた激戦が繰り広げられたのは有名ですね。


色々とありましたから、詳しくはこちらをご覧下さい。


ちなみに、東急と争った「伊豆戦争」はこちらです。


現在では、「伊豆」がJR東日本と東急を、
「箱根」が小田急を、「三浦」が京急を、
「日光」が東武を、「秩父」が西武を
メインとして住み分けつつ、
箱根や三浦など共存関係になっていますね。


そして、それら観光地も
昔、最初の安倍政権のときに挙げられた
観光立国の政策から「世界」を見据えていますね。
それで、皮肉にも、今回、春節に中国人がたくさん
コロナお構いなしで観光に来て菌をばらまき、
コロナ騒動で苦しんでいるわけですが。
小田急に関しては、「世界の箱根」を目指して、
2018年に100億円投資などの話も出ていますね。


西武の場合秩父は前述したような
リゾート開発が進められたわけですが、
その秩父と並行して、秩父と同様に
「第二の箱根に!」ということで
『奥多摩開発計画』もあったそうです。

西武鉄道の奥多摩湖開発計画を示す図面。
奥多摩湖の周辺に観光施設が点在する様子がよくわかる。
国立公文書館所蔵


もともと西武鉄道は、
西武新宿線から拝島へ至る拝島線を有しています。


その拝島線をJR青梅線に乗り入れさせ、
今の奥多摩駅からから延びる水根貨物線と連絡させ、
奥多摩湖周辺を観光地として開発する構想だったようです。


東京都の小河内ダム(奥多摩湖)建設時に使われた
ダム工事用の線路を1億円超で落札したとか。


また西武鉄道が東京都に提出した陳情書には、
「秩父三峰地区雲取山並びに倉戸山を結ぶ山岳縦走コースの開発」
との記述があったそうで、
奥多摩にある倉戸山から雲取山、三峰山を経由して
秩父方面に抜けていく登山ルートを整備する方針だったようです。


すなわち、
奥多摩と秩父を一体的に開発する狙いがあったということですね。


結局、実現することはありませんでしたが。


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Ⅲ. 関東一円支配
 <西武の東京大包囲網計画>

 <京成乗っ取り~千葉進出計画>


秩父とは別に西武の牙城であった所沢について、
第二の副都心となるよう
「西武沿線人口一千万人、
 所沢人口百万人」構想
あったとか、なかったとか、噂はありますね。


昭和58年には、
埼玉県、栃木県、茨城県の三県三十市町村により
「東京外環環状線等鉄道建設促進期成同盟」が結成されました。


それはどういうことを狙っていたのかというと、
埼玉県の飯能市を起点とし、坂戸市、東松山市、
茨城県の水海道市を経て、土浦から江戸崎へ抜ける鉄道構想であり、
すなわち、
土浦と飯能を結ぶ「土飯線」構想ですね。


首都圏50km圏内に広がる工業団地間の輸送や
その周辺に急増する人口を円滑に交通移動させるものであり、
飯能には、東飯能駅で八王子へ向かう八高線があり、
八王子には横浜へ向かう横浜線があることから、
「土飯線」が実現すれば、
東側は飯能~八王子~横浜と東京の大包囲網が完成するわけですね。
そして、その包囲網の本丸は百万人都市(副都心)所沢ですね。


このように都心を囲う環状線の発想は、
もともとJRが旧国鉄時代に構想していた案でもありましたが、
旧国鉄も赤字続きで、そんな構想どころではなかったですね。


結局、今となっては、
圏央道がそれに近い交通網として整備されましたね。


この構想に西武がどこまで視野に入れたか?わかりませんが、
昭和58年に「京成乗っ取り」が噂されたそうですね。
堤氏は否定したようですけど。


当時の京成は負債が2700億円に膨らんでおり、
西武が狙っていたのが
当時、計画されていた「幕張メッセ」と
そして「南房総のリゾート開発」だったようで、
それらを見据えて
京成乗っ取りにより『千葉進出』を狙っていたとか。


当然、京成を乗っ取れば『成田空港』も付いてきます。


前述の「土飯線」構想と合わせて考えれば、
東京大包囲網が完成し、
首都圏では無敵状態になります。


当時の京成のメインバンクである興銀会長が
「現在も京成の状態は良くない。買いどきであることは確かです。それに京成の北総開発鉄道(新鎌ヶ谷~高砂)も約4百億円の負債保障負担が大きく、それに京成が耐えられるか。この鉄道は成田空港までの新高速鉄道にも使われる予定ですし、しかも全線開通すれば、空港から都心へ45分で行けます。南房総開発と絡んで、堤さんとしては是非ともほしい鉄道なんです」と述べたとか。


もともと、西武と京成の間には、
戦後すぐ「鉄道連隊演習線」跡地を争った経緯があります。


鉄道連隊演習線とは、
日本陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した千葉県内の鉄道路線です。


この争いの結末は、
近辺の京成に軍配が上がり、跡地を引き受けることになり、
その代わり、西武には
蒸気機関車や貨車等が引き渡されるとともに、
新宿線高田馬場駅-西武新宿駅間の免許
与えられたことになったとか。


結局、北総開発鉄道は「成功」とは言い難いですけど、
京成は、広域展開こそはしてないですが、
成田空港等を活かしながら千葉県と隣都県に集中して展開し、
京成電鉄は株主筆頭のオリエンタルランドと
業務提携及び資本提携を図り、地道に経営をしていますね。


ちなみに、京成の方も
終戦直後、新宿を目指した都心直通構想はあったようですね。



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では、その他の計画を簡単に列挙しますね。