下手の横好き(馬と獅子が好きです)

主に西武ライオンズ、競馬のことを主に書いています。

【昔話】黄金期の日本シリーズ(広岡&森政権時代)/あなたが好きなシリーズは?私が好きなシリーズは・・・

さて、今日も昔話の続きです。
緊急事態宣言は延長されそうで、
当然、プロ野球開催もさらに危うくなりました。


ただ、今日はコロナは飽きたし、
話題もなくなっていますから(´_`。)


西武といえば、かつての「黄金期」ですよね。


「東尾政権」「伊東政権」「久信政権」でも
強い年(優勝)はありましたけれど、
やはり「広岡政権」&「森政権」ですね。


あれ「根本政権」「田辺政権」は・・・


今日は「広岡政権」&「森政権」時代における
『日本シリーズ』について振り返ってみましょう。


とは言っても、全年は多すぎるので、
西武が日本一になった年のうち、
自分が好きな年を勝手に抽出し
簡単に触れていきましょう。


ところで、
「広岡政権」&「森政権」時代
西武が日本一になった年は、


1982年:中日戦(広岡)4勝2敗
1983年:巨人戦(広岡)4勝3敗
1986年:広島戦(森) 4勝3敗1分
1987年:巨人戦(森) 4勝2敗
1988年:中日戦(森) 4勝1敗
1990年:巨人戦(森) 4勝0敗
1991年:広島戦(森) 4勝3敗
1992年:ヤク戦(森) 4勝3敗


阪神と横浜(DeNA)からは日本一を奪ってないですよね。
85年の阪神戦では、
虎党が西武旗を燃やしており、恐るべし虎党!
と思ったこともありましたが。


では、この中で皆さん(あなた)が
お好きなシリーズはいつでしょうか?


私の場合、好きなものの順で番付けするなら
①1983年:巨人戦(広岡)4勝3敗
②1992年:ヤク戦(森) 4勝3敗
③1982年:中日戦(広岡)4勝2敗
④1986年:広島戦(森) 4勝3敗1分
・・・
⑧1990年:巨人戦(森) 4勝0敗
ですね。


1990年の巨人戦は、確かに強すぎました。
リーグVもお盆にマジックが点灯し、
そのまま独走体制。
もしかしたら黄金時代の中でも
「全盛」「最強」と言っていいかもしれません。


まあ「強い」に越したことはないのです。
中には「最強」が「最高」なんだよ!
その「最強」を観たいんだよ!
という方もいらっしゃるでしょう。


それはそれで良いと思います。


ただ、その年の日本シリーズは、個人的に言えば、
「負ける気」もせず、ある意味、
ストレートしすぎて『つまらなかった』です。
残る記憶も『強かったね』だけでした。


そういう意味では、
昨年のソフバンvs巨人の日本シリーズも
同じだったでしょうね。


まあ、人間という生き物は欲深いからなのか、
もしくは、我がままな生き物だからなのか。。。
ただ、普段は「勝て!」と言っておきながら、
「勝つ」だけでは飽きてしまう・・・
まさに『我がまま』ですね。


これは個人的な意見ですが、
やはり日本シリーズは
「最後の最後までわからないスリル」
「土壇場で栄光が転がり込む感動・悔しさ」が欲しいです。
まあ「勝ったから」そう言える面は否定しませんが。
ある意味で、意地で第7戦まで持ち込んだ
1993年ヤクルト戦もそれを満たしたシリーズでしたね。
ただ1992年の第6戦には叶わない。。。


上位の理由については、簡単に申せば、
①1983年:巨人戦&②1992年:ヤクルト戦
双方とも「どちらに転ぶか?」が
あまりにもわからなくなった

シナリオの無い名勝負の年になったからですね。


まあ1992年はヤクルトの追い上げが感動をさらに増し、
第6戦のシーソーゲームなどが無ければ、
(初戦の杉浦満塁弾はありましたが)
④1986年:広島戦と似た位置にいたかもしれません。


なお、①②で差別化したのは、
①は初の巨人戦だったことと、
(巨人を倒してこそ本当の日本一)
どこまで進んでも
「どっちに覇権が転がり込む?」がわからなかった
のに対し、
②は第4戦で少し安心してしまいましたからね。
そこの差があって順位付けしました。


③1982年:中日戦は、
やはり初めての「日本一」への感動ですね。
それまでの「弱小西武」の反動もありますけど。
ただこれは、この日本シリーズのみではダメで、
その前のハム戦とのプレーオフも含めてこそ
一つの伝説になる
と思います。


④1986年:広島戦は、やはり
もう崖っぷち3連敗からの再起4連勝ですね。
ただし、
「どの時点」でも最後までどちらに転ぶ?が見えなかった
①1983年:巨人戦と比して、
順位を落としたところはあります。


3勝0敗、3勝1敗と
圧倒的な攻勢で王手を掛けていて
それを逆転される、逆王手かけられるというのは、
それはそれで盛り上がるわけですが、
ある意味、再攻勢を仕掛けられた方には、
「油断」「詰めの甘さ」という点がありますからね。


それでは、ここで①~③の日本シリーズについて、
簡単に触れていきたいのですが、長くもなりますので、
ここでは①1983年巨人戦②1992年ヤクルト戦の日本シリーズに触れ、
次回に③の1982年を書いていきましょう。


ただし、次回の初日本一となった1982年は、
日本シリーズよりも
リーグVを争った日ハムとのプレーオフの方が面白いので、
そちらを主に書きたいと思います。
「初日本一の1982年(工藤詐欺事件)」。。。



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それでは本題です。


①1983年:巨人戦(広岡)4勝3敗
この年は、広岡監督就任2年目であり、
前年、創設4年目にして初の栄冠を奪った新しき獅子が
この年に本物と化した年でもありました。


パ・リーグで行われてきた
前期・後期の2シーズン制が
前年が最後になり、この年から1シーズン制に。
ある意味、本当のリーグ優勝はこの年から
と言っても過言ではありませんでした。


この成果は前年に続き、
広岡監督の存在が大きいわけですが、
広岡監督というと「管理野球」ですね。


創設3年目までの「根本政権」では、
選手らも『楽しければええじゃないか!』の雰囲気にあり、
その輪に入った「管理野球」の広岡イズムは
当初、受け入れてもらえなかったところがありましたね。


肉より野菜。自然食を中心にした食生活改善。
今までの野武士集団らしい
個々バラバラな「大味野球」を一掃し、
チームプレー、サインプレーの徹底や
1点を大事にするきめ細やかな野球。
ミスのない守りの野球。データ重視の手堅い野球。
選手らのプライドを打ち壊す指導。


田淵に対しては、
「いくら打てても、守れない選手はいらない」


そして、皆が集まって自己紹介するときに
「ここには守れない高給取りがいる」と
最初に一番のトップからしかりつける形に。
田淵が東尾や石毛らに「俺?」と言ったそうですが、
そのときの広岡監督の狙いには、
田淵自身を変えさせることがあるとともに、
一番のボスを叩けば、若手らも
「あの田淵さんが怒られている。俺らはまだまだ」と
周囲の選手ら(コーチも)の気を引き締めさせる
意図がありましたね。


そして石毛には、守備練習の時、
「全然、基本ができていない!
 一体、彼はどこで野球を習ったんだろう?」


1試合2度のエラーして
そんなの関係ない!という態度をとった東尾には、
(「俺は気合で投げる投手なんだ!」と)
「信じられないエラーだ!」と大激怒しましたね。


不注意のミスには「あんなのプロじゃない」と責め、
レギュラークラスが不注意で風邪でも引いたら減点材料に。


広岡監督の中には、
「手抜きのミスと、精一杯やってのミスでは、
 チームに与える影響が違う」
という考えがありましたからね。


また負傷がちの大田が「休ましてほしい」と言ったら、
「ケガをするのは仕方が無い。でもしっかり手入れをしないで
 悪くなったら休めばいい、それはいかん!」と怒りましたね。


そんなこんなだから、選手らも
「優勝して、監督を胴上げして落としてやろう」
の一致団結は、有名な話ですね。
実際には東尾が「落とそう!」と言ったけど、
田淵がそれを止めたとか(^^)


その一致団結の様相は、
売り飛ばすオーナーに反抗して優勝を狙う
映画「メジャーリーグ」1作目に似ているかもしれませんね


ただ、広岡監督は冷酷非情なタイプ?
というとそうでもなく、
自らノックや、バッティング投手も務めたり、
自身の身体を使って熱い指導もされていました。


また、実力・適材適所重視の起用方法でしたが、
若手がファームから上がってきたら
一軍に昇格してきた努力や実力を高く評価し、
スタメンとかですぐ適用する傾向がありましたね。


それでも若手が失敗してファームへ降格になるときは、
何故、失敗したのか?を考えさせながら
「焦らんでいい。ゆっくり直してこい。
 お前の復帰を期待しているからな」と励まし、
(ベテランら含め、壁にぶつかったときも同様)


とにかく選手らには、
「真剣に取り組んでいれば、あの監督は、
 必ず使ってくれる!」の意識を浸透させましたね。


ちなみに「細かい野球」ということで
「バント」は定型になって多かったわけですが、
「スクイズ」は根本政権の3年間で皆無であり、
広岡監督就任一年目の前年プレーオフが
西武球団初のスクイズ劇になりましたね。


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さて、前置きが長くなりましたが、
『1983年:巨人戦』ですね。


この年のパ・リーグでは、投打が噛み合って
快進撃を繰り広げて6月以降10ゲーム以上をつけ、
最終的には86勝40敗4分と2位阪急に17ゲーム差つける
圧倒的な独走状態でリーグ連覇を果たしました。


投手陣は2桁勝利が5人
(MVP東尾、松沼兄弟、杉本、高橋直樹)
森繁和は前年から抑えに転向し、
1983年は34セーブを挙げましたが、


野手陣は、田淵、山崎、片平、大田、石毛、立花、
スティーブ、テリーらのほか、
広橋、蓬莱ら若手に
金森、西岡らも加わり厚みを増しました。
まあ、田淵は7月上旬まで
日本記録55本ペースの勢いでHRを量産していましたが、
死球からの骨折で離脱。でも片平や大田らがそれをカバー。
ただし、田淵はこの故障が長引き
日本シリーズの出場が直前まで危ぶまれていましたね。
しかし、田淵は阪神時代から巨人戦には燃えるタイプでした。


田淵は大学時代に巨人に入りたく、
ドラフト前に当時の川上監督から
「背番号2を用意している」と伝えられ、
1番が王、2番が田淵、3番が長嶋を夢見ていたわけですが、
巨人は指名することなく、涙の阪神入りを果たしましたね。
大学時代の盟友・星野も
巨人に誘われながらも指名無く中日に入団し、
2人とも「打倒、巨人!」に揃って燃えましたね。
それだけに、田淵にとって、故障なんか吹き飛ぶほど、
この巨人との日本シリーズは格別な想いがありましたね。
(ある意味、1987年巨人戦の清原に通じるものが)


一方、セの覇者・巨人も強かったです。
西武ほどのゲーム差は開かず、7月に首位陥落しましたが、
それ以外では首位を走って
最後は2位広島に6ゲーム差開いての優勝。


投手陣は、江川&西本に
新勢力・槇原が加わって強靭な三本柱を築き、
定岡、かつて西鉄にいた加藤、新浦など、
そして、抑えの角と。


打撃陣は、原、中畑、スミス、篠塚、
脇には快速の松本、河埜、淡口、山倉、クルーズ、
台頭してきた駒田など、役者は揃っていました。


西武にとっては、
創設前から巨人に因縁があるだけに
また引退後、巨人以外を歩んできた
広岡監督自身も打倒!巨人に燃えており、
(1988年に巨人・広岡政権は実現せず)
そして、球界の盟主が読売巨人軍であることから
「巨人を倒してこそ、真の日本一」と
皆が燃えていましたね。


ある意味、このシリーズは、
盟主を賭けたような激戦になりました。


第1戦
(西武球場、1983年10月29日)
秋晴れの西武球場でしたが、風が強く吹くことに。


西武の先発は松沼兄、巨人の先発は江川。


西武と巨人が因縁の仲になった
江川問題、松沼兄弟獲得競争を鑑みると、
初戦から役者が揃ったとも言えました。


初回表、先頭の松本が俊足活かして出塁しますが、
兄やんは、4番の原には徹底的な「内角攻め」
(しかも与死球気味にも)を繰り返し
最後は外角スライダーで計算通り空三振を奪い、
初回の立ち上がりを無失点で切り抜けました。


一方、初回裏、江川は先頭の山崎を簡単に三振に仕留め、
2番の立花は打ち上げて深めの二飛のはずでしたが、
二塁手・篠塚が捕球しようとしたところに、
(完璧に二塁手の守備範囲)
左翼手スミスがのこのこと前進てきて
篠塚と接触してあり得ない「落球」
これで立花は二塁まで行ってチャンスを築きます。


江川のリズムは崩れて次のスティーブに与四球。
田淵は中飛に倒れるものの、
次の大田がセンター返しで中適時打して1点先制しました。


しかし江川の乱調は次の2回表に顕著に露呈されます。
先頭の石毛が三遊間を抜く左安打で出塁すると、
捕手・黒田がバスターで遊安打。
遊撃手・河埜も送球できず。
とにかく西武は江川を奇襲で揺さぶります。
次の兄やんはバントで送って一死二三塁。
江川は自慢のストレートが武器であるため、
あまり変化球の球種を持っていません
それだけにあまり考えて投げることは得意ではなく、
リズムに乗って大胆に投げ込んでくるタイプなので、
西武はそこを突いて揺さぶりを仕掛けてきましたね。


そしてベテラン山崎が
三塁線へ痛烈な左適時二塁打で2点奪取。
立花は一ゴロで倒れて、二死三塁。
二死まで来たが、次のスティーブに与四球。
江川のリズムが戻らず状態に。


二死一三塁で打席に迎えるのは4番・田淵。
故障明けで状態が危ぶまれましたが、
ボールが先行してB2S0の3球目。
甘いカーブをレフトスタンドへ沈める一撃3ラン!
打倒・巨人!に燃えてきた男が
巨人を象徴する江川から一撃を食らわし、
西武は序盤で一気に6点のリードを果たしました。



初戦は巨人も追い上げますが、
東尾が6回以降の4イニングをロングリリーフして
西武がそのまま逃げ切って初戦を飾りました。


エース東尾は、
6回表、ピンチで登板するものの、
強風に苦しみながらもそのピンチを広げ、
永射らが築いた走者を返してしまいますが、
自分が出した走者は返さず。
7回以降は無失点に抑えましたね。


第2戦
(西武球場、1983年10月30日)
初戦は西武が楽に獲らせてもらいました。


とにかく、このシリーズ、巨人にとって
この江川が誤算になりましたね。
この第1戦は、
シリーズの直前の100mを走っていて肉離れ。
そして、第2戦と3戦の間になる
中日に197球の投げ込みを行って肉離れ悪化。
第4戦は足を痛めながら投げる形に。
江川は昭和の怪物と称され、
高校時代が全盛期とも言われてますが、
プロ時代ではこういう肉離れなどよく見られてましたね。
ある意味で、練習不足というか、
腹も出ていて太りすぎという印象が強かったです。
そこに無理をして200球近い投げ込みをして
再び悪化させます。
(よほど悔しかったんでようね)
でも、天才ではありましたから、
本来の力を発揮すると「こんなもんじゃない」
という投手でしたね。


一方、シリーズの方は
巨人もそう簡単に引き下がりませんでした。
西武にとって、次の第2戦は、
前の試合が嘘だったのか?と思わされるほど
シュートの魔術師・西本に抑え込まれます。


第2戦の先発は、
西武がベテラン高橋直樹、
巨人が江川と張り合う雑草魂の西本。


高橋直樹は広島から移籍して2年目。
元々は日ハムで主戦投手だったベテランでした。
しかし、初回表、巨人打線につかまります。
先頭の松本が手堅く左安打で出塁すると、つかさず盗塁。
あっという間に無死二塁に。
松本にとって、
肩の弱い捕手・黒田は赤子の手をひねるかのように
簡単に二塁ベースを盗みました。


それでも高橋直樹は、
2番の河埜を空三振、次の篠塚を右飛で処理し二死三塁に。
そして、第1戦では徹底した内角攻めに
リズムを狂わされていた4番・原が登場。
このときも内角攻めから入りますが、
2球目、外角球を狙ってそれを完璧に踏み込み捕らえられ、
打球はレフトスタンドへ吸い込まれて2ラン先制に。
高橋直樹はマウンド上でしゃがみ込み落胆。
(高橋はよくしゃがみ込みますけど)


でも先制を許しましたが、
高橋直樹~松沼弟でつないで
中盤まで追加点を許しませんでした。


この日の問題は打線、
いや巨人の西本にありました。


西本は江川と猛烈なライバル関係にあったものの、
周囲からは『エースは、一人(江川)』
とも言われてましたね。
西本から見れば、江川が撃沈した今こそ
『エースの座』を奪う絶好の機会になりました。

西本のシュートは、
打っても打っても三ゴロになってしまいます。
バットに当たっても打球は
三塁手の原のグラブに吸い込まれて行きます。


西武打線も序盤は
西本のシュートに手を出さぬ作戦でしたが、
西本がシュートばかり投げてきますので、
そのシュートを何とかしないと突破口は無いという状態に。


だけど打てど、打てど、三ゴロの山を築きまくります。


終わってみれば、ニールも真っ青となりそうなくらい
三塁手の原が11個のゴロ&1個のフライのアウトを処理し、
内野ゴロは21本と量産しました。
西本は4被安打、無四死球、5奪三振の完封勝利。
これで西本は日本シリーズで無失点連続イニングが25に。
おまけに左犠飛からの打点&中安打も打って。


ゲームは西0-4巨で1勝1敗のイーブンで次の後楽園へ。
ただし、巨人も痛手を被りました。
遊撃手の河埜が死球で骨折し、戦線離脱となりました。


第3戦
(後楽園、1983年11月1日)
西武の先発は先発左腕一番手の杉本、
巨人の先発は新興勢力で三本柱に台頭してきた槇原。
なお、このとき、巨人は
河埜の離脱により3番だった篠塚を2番に上げ、
そのままスライドで原を3番に、スミスを4番に。


先制点は2回表、
田淵、テリー、石毛の攻勢で先制点1点を奪います。


でも、杉本は四球を出しながらも、
3回まで内野安打1本に抑えていましたが、
4回裏につかまります。
中畑、クルーズの連打で
山倉に四球を与えて無死満塁のピンチに。
そこで杉本からエース東尾へスイッチ。
東尾にとって、
第1戦に続きピンチでのリリーフに。
巨人は代打に駒田を送り込みます。
駒田はこの年に代打満塁HRを打って
「満塁男」の異名を持つようになっていました。
でも、第1戦では東尾から三振を奪われていました。


しかし、軍配は一二塁間を割った駒田に。
巨人が1点を返して同点に。
そして、東尾は槇原に四球を与えて
逆転の「押し出し」1点を許します。
東尾も第1戦では4イニングのロングリリーフで
72球を投げていましたからね。


ただし、東尾も踏ん張って
これ以上の失点を許しませんでした。


その直後の5回表、
西武は二死一二塁のチャンスを得て
打席には6年目の立花義家。
立花はクラウン時代最後の年の新人であり、
(西武ライオンズ結成直前の1978年)
高校時代は「左の原辰徳」とも称され、
1年目から活躍し、
所沢移転後も若き名脇役として活躍していました。
でも、この打席は一塁線鋭い打球を見せましたが、
中畑のダイビングキャッチに阻まれ、得点ならず。
(しかし、立花は次戦にその借りを返上)


ところが、6回表、
スティーブ、大田のセンター返しのヒットで
一死一二塁のチャンスを築きます。
迎えるのは第2戦まで不振だったテリー。
しかしその結果は、ど真ん中の初球ストレートを
フルスイングでライトスタンドへ放り込む
逆転3ラン弾!槇原の失投でしたね。
これで再び西武が2点リードを奪います。
(西4-2巨)


でも巨人もまだ引き下がりません。
東尾はのらりくらりとロングリリーフを務めますが、
8回裏、伏兵クルーズが左中間スタンドへソロ弾を。
外角狙いが中へ甘く入って沈められました。
それでもまだ1点リードしていました。


そして9回裏、東尾は6イニング目でまだ続投。
ベンチはリリーフ役に回ったエースに託す形に。
しかし、「二死」から篠塚にボテボテも
二遊間抜ける中安打を打たれ、
続く原に外角球で泳がせながらも
三塁を抜かれる左安打。


篠塚の当たりも、原の当たりも
東尾は「打ち獲った!」と思いましたが、
飛んだコースが悪かったです。


とはいえ、残すは「あと1人」
森コーチが笑いながらマウンドへ。
確かに東尾はこのとき80球を超えるロングリリーフ。
それでもベンチはストッパー森繁和ではなく
ベテラン「エース東尾」での逃げ切りに賭けた。
連打されても打ち獲った打球だっただけに。
※これが痛烈の当たりだったら交代していたか。


二死一二塁で元メジャーのスミス。
このとき王助監督からは
「左へ流せ」の助言を受けていたようですが、
スミスは外角球を完璧に引っ張って
一二塁間を割る同点の右適時打に。


これで二死一三塁とサヨナラのピンチに。
迎えるのは燃える絶好調男・中畑。


ここで西武も東尾を諦めて、
ストッパー森繁和を投入。遅すぎた継投でした。


中畑と森繁和は駒大の先輩&後輩の関係。
その結末は、カーブを振りぬいた
先輩・中畑のサヨナラ左適時打に。。。


最終回二死からの土壇場で巻き返した巨人。
西4-5×巨と、西武は手痛い黒星となり、
これで1勝2敗に。


西武は最後の最後の土壇場まで
「勝負はわからない」という教訓を味わい、
巨人は2枚のストッパー(東尾・森)を
打ち崩したことで自信をつけます。


第4戦
(後楽園、1983年11月2日)
西武の先発は松沼兄、
巨人の先発は第一戦の雪辱を晴らしたい江川。
第一戦での再戦となりました。


初回表、江川は石毛を捕邪飛に抑えますが、
肉離れになって崩れます。前日の投げ込みが響きます。
立花に打たれてから一旦ベンチへ。
戻ってきますが、
スティーブが連打されて、田淵に与四球。
江川は立ち上がりに苦しみ一死満塁に。


しかし、江川が意地を見せて
大田をストレートで三飛、
テリーを空三振に仕留めて先制点を許しません。


逆に先制点は巨人の方が初回裏に奪います。
兄やんは先頭の松本を四球で歩かせ、
原から2ランを被弾します。
さらに2回裏、山倉にも一発を浴びます。
山倉も率は低くてもパンチ力はあります。


これで兄やんはKO。
松沼弟、弟やんが引き継ぎます。


序盤で西武は3点リードを許しましたが、
その直後の3回表。
先頭の石毛が中二塁打で出塁し、
スティーブが右適時打で1点返します。


そして5回表、
一死、石毛が原のエラーで出塁します。
石毛の打球は遊撃手真正面のコースでしたが、
原が飛び出てきて鈴木康友の前でエラーに。
連係プレーというより、
原の個人プレーで守備が乱れます。
そして、立花が江川の高めストレートを
弾き返して中二塁打


一死二三塁のチャンスに。
スティーブは三振に終わりますが、
次の田淵が左中間へ同点となる2点適時打!
石毛、立花が生還して
これで西3-3巨と追いつきます。


その後、大田も中安打で出て江川を攻めます。
一死一二塁でテリーvs手傷を負っている江川。
テリーは第3戦で一発3ランを放っています。


結果は、テリーが一二塁間を鋭く割る中前安打。
田淵が二塁から一気にホームを懸命に目指しますが、
田淵の足が遅い!二塁手を中継してホームで刺死!


まあ田淵は次の8回表では
普通なら余裕のレフト線への二塁打も
スライディングしてギリギリ間に合ってでしたね。
(田淵にとっては冒険の賭けでしたが)


それでも、二番手の弟やんが
踏ん張って追加点を許さない中、
中盤で同点に追いつきます。
その裏、二死一二塁で中畑の打球を
テリーがダイビングキャッチで失点を阻みます。
これで西武に流れが来るのか?


しかし、6回裏、二死から
鈴木康友の打球をスティーブが悪送球。
あのバウンドでは田淵は捕球できない。
そして、江川が右中間を割るタイムリー。
決して弟やんの失投とも言えませんでした。
江川がストレートに的を絞ったのか、
足が痛くなければ余裕の二塁打長打でした。
その間に鈴木康友が一気にホームへ。


西武の流れになりそうなところを
スティーブの失策から始まり、
江川の意地が自ら勝ち越しを決める一打になりました。


ただし、江川もここまで。足の痛みを訴え、
足を引きずりながらベンチへ。代走が送られました。


その直後、西武は二番手・鹿取から
二死満塁のチャンスを築きますが、
巨人は三番手に加藤を投入。
西武は代打・鈴木葉留彦。
ある意味、
福岡時代で同じ釜の飯を食った仲?
(その頃をよく知りませんが)
結末は中飛に終わって無得点。残塁。


弟やんは粘り強く7回を三凡で無失点に。


1点ビハインドの状況下を
そろそろ何とかしたいところ。


8回表、先頭の代打岡村が四球で出塁すると、
1番の石毛がバントで二塁へ送ります。
一死二塁で打席には立花。
昨日の第3戦では
痛烈な当たりを中畑に阻まれて点を奪えず、
チームは中畑にサヨナラ打を打ち込まれました。


立花vs加藤。
初球カーブを
立花が思い切り引っ張ってフルスイング。
ジャストミートする完璧な当たり!
打球はきれいに放物線を描き、
ライトスタンドへ。逆転2ラン!
二転三転するシーソーゲームで
義家の一撃により
再び西武がリードしました。


その後、田淵が左二塁打を打ち、代走・蓬莱に。
動揺していた巨人の加藤が蓬莱への牽制で悪送球に。
蓬莱は三塁へ進塁し、大田がタイムリーを放ちもう1点追加。
これで西武の流れとなり、
最終回にも山崎が定岡からダメ押しのソロ弾。
これで西武は3点リードで最終回裏を迎えます。


ただ、その前の第3戦では
9回裏二死から2点奪われてのサヨナラ負け。


リベンジを果たしたいストッパー森繁和は、
8回裏を走者は出すが、無失点に抑え、
最後の9回裏も続投しました。


9回裏、先頭の松本が右安打で出塁します。
嫌な予感がしつつも、篠塚が投ゴロ併殺打に。
これで「二死」走者なし!


ただ、原が三遊間を割る左前安打で出塁。
そして、続くスミスが四球で出塁。
二死一二塁で迎えるのは
前日サヨナラ打を放った駒大の先輩・中畑。
当然、一発出れば、
3点差リードは吹っ飛び同点になります。
森繁和、リベンジをきっちり果たせるのか?


4球目、外角低め一杯にストレートを投げ込みます。
中畑はボールと見切って手を出さず。
しかし審判は「ストライクアウト!」
中畑が審判に「えっ?」と言うが、
コース一杯に決めており、
森繁和が前日の借りを返しました。


これで西7-4巨。双方2勝2敗のタイに。


広岡監督は、お立ち台で前日の第3戦の話も含めて
立花と中畑のやり合いを話しながら、
※第3戦で立花の当たりを中畑が阻み、 
中畑がサヨナラ打で決め、
  この第4戦はその立花が決めた話。
次の第5戦は西本攻略次第で、
西本を打ち崩せば一気に行けるだろう
と述べられましたね。


監督としては、
次の第5戦は西本で落としてしまったらしょうがない。
勝てるなら一気に攻めたい、というところでしたね。


第5戦
(後楽園、1983年11月3日)
西武の先発は高橋直樹、
巨人の先発は苦手意識のある西本。
第二戦での再戦となりました。
河埜も復帰して2番ショートでスタメンに。


序盤、西武は2回表に
西本が2与死球で二死満塁のチャンスを築きます。
ただ打席は投手の高橋直樹なので三振して得点できず。
とりあえず、西本は3イニングを無失点に。


ところが、4回表に
巨人戦に燃える男・田淵が先頭で
西本のシュートを狙い打って
レフト側のポール直撃のソロ弾を放ちました。
これが先制点となり、
西本の日本シリーズ無失点記録を
29イニングで止めました。
西本自身も「あれは失投ではない」と。


ただ西武の攻撃はまだ続きます。
大田が左に、テリーが右に引っ張って連打。
山崎の投ゴロ併殺打コースを
西本自身が二塁へ悪送球。
これでもう1点追加しました。
西本自身、
明らかに先制された焦りが浮き彫りに。


次の伊東はバントをしようとして四球。
西本が冷静さを欠きます。これで無死満塁。
まあ、次が投手の高橋だったので
そこは三振となって一死満塁で1番・石毛に。
当然、ここは大量点を狙いたい絶好な場面。


ところが、西本はそこらの投手と役者が違います。
シリーズで連続無失点イニングを
伊達に重ねてきたわけではありません。


石毛はシュートで詰まらされながら三ゴロ。
続く立花は内角一杯にストレートを決められ、
全く手が出ずの見三振。
西本が冷静さを完全に取り戻しました。


確かに大量得点のチャンスを
奪えなかったことは痛手でしたが、
点を許さぬ西本から2点も奪えば上々。
西本先発時の勝負は「打ち合い」ではなく
「ロースコアの投手戦」になるから
そこを制さなければ「勝てない」と。
つまり、1点を大事にする
広岡野球の本質が問われる展開とも言えます。


それ故にこの試合、
西本を攻略したのだから「勝ちに行く」「勝つ試合」
と考えられたようですね。


西武打線はその後、西本に抑え込まれ、
チャンスらしいチャンスも作れず
スコアボードにゼロを並べます。


一方、高橋直樹も
かつては日ハムのエースであった意地を見せ
巨人打線を被安打1、与四球2で点を許しません。


双方譲らずの完全に投手戦の展開に。


6回裏一死で松本に四球を与え、
次の河埜のところで左の淡口に代打。
そこで西武も
左殺しの永射へスイッチ。
しかし巨人は
代打の代打で左腕殺しの平田を送り込みます。
でも、平田は内角で詰まらされて一邪飛。
続く篠塚には外角一杯に決めて見三振。
永射がきっちり中継ぎの仕事を果たします。


西本はまだまだ続投体制なので
当然、西武はこのまま西本から得た2点を守り、
ゼロ封で逃げ切りたいところ。
そこで西武は勝ちパターンとして
エース東尾、ストッパー森繁和の二枚看板を投入。
東尾は第3戦で打ち込まれている借りを返上したく、
森繁和は前日に借りは返したが、
抑えてこそのストッパー。


「守りの野球」
広岡野球の神髄の見せ処となりました。


7回裏、登板した東尾。
先頭は4番に戻った原。
2球目、低めに決めたストレートを
原がすくい上げます。
打球はそのまま放物線を描いてレフトスタンドへ!
1点を返上するソロ弾に。
盟主・読売巨人軍の4番が意地を見せて
反撃の狼煙を上げました。


それでもまだリードは1点。
スミスが遊ゴロに倒れて二死。


だが、中畑が外角高めを流して右中間を割り、
ヘルメットを落としながら激走して気迫の三塁打。
このイニングは「あと1人」
でも続く伏兵クルーズは
三塁線鋭い左適時打でついに同点に。


エース東尾が2点リードを守り切れず。。。


8回裏からは森繁和が投入され無失点に。
ただ、西本が打席にそのまま入りこちらも続投。
9回表の攻撃は三者凡退。
西本は140球を放って9回を投げ切りました。
でもまだまだ投げる意気込みです。
とにかく、西武が勝つには
延長戦に持ち込んで西本との我慢比べに。


9回裏、森繁和が続投。
篠塚、原が倒れて二死まで難なく辿り着きます。
狙うは延長戦。
一応、スミスには一発警戒して
敬遠気味で歩かせました。
ところが、
スミスがまさかの盗塁成功。
捕手・大石は強肩ですが、完全に油断しました。
(今では鈍足ほど意外に盗塁しやすいが定説)
これで一打サヨナラのピンチに陥ります。
中畑には第3戦のサヨナラ打があったため、
森繁和は中畑との勝負も嫌って与四球で
空いている一塁を埋めて二死一二塁。
次の伏兵クルーズとの勝負を選択。
クルーズは控え外国人でその年は
58試合で打率0.240、HR4本(OPS0.640)
とはいっても、このシーズンでは好調でした。
まあ中畑よりはマシというところでしたね。


ただ森コーチがマウンドへ来た際、
永射も何か(乱数表らしい)を届けにマウンドへ
藤田監督が「それは投手交代だ」と抗議。
その抗議は認められませんでしたが、
間を開けました。
この間がどちらに転ぶのか?


その勝負の行方は、、、


森が投げ込んだ高めストレートを
クルーズが完璧に捕らえレフトスタンドへ。
サヨナラ3ランとなり、西2-5×巨。

これでサヨナラゲームが2試合目。
巨人が第3戦に続き
9回二死からのサヨナラで王手に
巨人の3勝2敗になり、西武は後がなくなりました。


でも、そう簡単に決まらないのがこのシリーズです。
まだまだ双方苦しく激しい殴り合いが続きます。


第6戦
(西武球場、1983年11月5日)
西武の先発は杉本、巨人の先発は槇原。
第三戦での再戦となりました。


初回一死
杉本は内角低め一杯を突きますが、
僅かに外れて河埜を歩かせます。
続く篠塚に高めを打ち込まれ、
4番の原がボテボテでも三遊間を割って
あっという間の先制タイムリーを放ちます。
巨人が第5戦での勢いをそのまま活かします。
その後、スミスにも四球を与え、
一死満塁と嫌なムードが漂います。


そこで打席には中畑。
しかし、三塁を抜きそうな鋭い打球も
スティーブがライナーアウトにして
飛び出した二塁走者も刺し、併殺に。
これで杉本も落ち着きを取り戻します。


その後、杉本は危なげなく
スコアボードにゼロを並べていきます。


一方、槇原もゼロを並べていきますが、
5回裏、先頭のベテラン山崎が
粘って四球で出塁すると、
続く伊東はバント失敗。
伊東は打球を打ち上げ、
一塁手・中畑がそのまま捕球すると思われましたが、
それを落としたわけですが、
走者の山崎は打ち上げた打球を見てスタートを切れず
そのまま二塁を刺されて走者を送れず。
次の投手・杉本も3バント失敗。
チグハグな攻撃が続き一死一塁のまま。


ところが、伊東が2球目で盗塁を成功させ、
石毛がB2S2から外角の変化球を
左中間のフェンス直撃の適時三塁打で同点に追いつきます。


次の6回裏二死、
大田がフルカウントからど真ん中のスライダーを
レフトスタンドに沈め、逆転ソロ弾を放ちます。
槇原の失投でした。


杉本は8回表までゼロを並べ、
1点差リードで8回裏。
マウンド上には三番手の加藤。
ただあと1つ勝てばいい巨人。
ブルペンには江川と西本が準備中。


二死一二塁で大田vs加藤。
高めストレートをきれいに流して右前安打。
二塁走者の西岡がそのままホームへ突っ込みます。
ところがスミスがレーザービームで
その西岡をホームで刺し、西武は追加点ならず。
ただタッチが先か?滑り込んだ足が先か?
微妙なタイミングでした。


1点差リードのまま9回表。
初回は1点を許すも、
その後はゼロを並べる杉本が続投。
まあ完投する時代でもありますし、
完投、完封もしてきた投手でした。
そして何よりも2回以降、
5回の内野安打1本に抑え、
巨人打線は全く手が出ない状況でした。


おまけに森繁和は2度失敗しています。
ベンチはそのまま杉本に託しました。


9回表、
先頭は左殺しの平田でしたが、打ち上げて二飛。
しかし、篠塚、原と慎重になりすぎて連続与四球。
それでもスミスを左飛に仕留めて二死。
とにかく「あと一人」それをクリアすれば逆王手。


打席には中畑。
この日の中畑は杉本に全く合ってなく
三ゴロ併殺、三振、投ゴロの三タコ状態。


ベンチはそのまま杉本との心中を決めました。


でも、中畑は大舞台で
チャンスになればなるほど強さを発揮する熱い男。
B2S2の5球目。高めに入ったストレートを
右中間を割る形で走者一掃の逆転適時三塁打に。。。
西2-3巨となり、
またしても9回二死からの巨人の逆転劇。


「守る野球」広岡野球の神髄を
またしても発揮できず。。。
流れはもう巨人に?
あと1つの巨人が決めるのか?
ブルペンでは西本と江川が準備中。


巨人が1点差リードのまま9回裏。
そして、藤田監督は
江川ではなく西本に全てを託しました。
西武にとって、苦手な西本を
この1イニングで攻略できなければ
そこでTHE END!の崖っぷち。
西武が因縁の盟主・巨人を倒して
「真の日本一」になるのはまだ早計なのか?


先頭のテリーは
外角シュートで泳がされて中飛。
巨人勢、巨人党は大いに盛り上がります。


ところが、ベテラン山崎が
三遊間を割って口火を切ります。
そして、伊東のところで代打に片平晋作。
王に憧れて一本足打法を身に着けた片平。
外角低めの変化球を引っ張って
一二塁間を割る右安打でつなげます。
さらに投手・杉本の代打で鈴木葉留彦。
外角シュートをスライスするように流して左前安打。
強敵西本から三連打で一死満塁の大チャンス。


そこで迎えるのはチャンスに強い石毛。
駒大の先輩・中畑が熱ければ、
後輩の石毛も熱い男。


石毛が打った打球は
内角球シュートを詰まらせて三塁方向へコロコロ・・・
併殺?万事休す???


ところが、
打球のコースは三塁寄りの三遊間。
ダイブした原は捕球できず、
遊撃手・石渡が捕球するが、深い位置で送球できず
三塁走者の山崎が生還して同点振り出しに!


それでも一死満塁が続きますが、
西本はサヨナラを許さず、
西岡を遊ゴロ、スティーブを詰まらせながら中飛に。
とりあえず、西本は同点のまま踏ん張ります。


10回表、
本来なら東尾、森繁和を投入したいですが、
打ち込まれたこともありますが、
2人とも第5戦で消耗もしています。
(森繁和は第3~5戦登板で2度失敗)
一方、中継ぎに回った松沼弟が
第2戦、4戦で好投し続けていました。


でも、巨人も勢いに乗ろうとします。
先頭の山倉が四球で出塁すると、
西本の代打・淡口がバスターでセンター返し中安打。
これで無死一二塁のピンチに。
しかし、次の松本もバスターをしますが、
一塁手に入ったスティーブが突っ込んだ真正面に転がり、
三塁を刺して、一死一二塁に。
石渡がバントを成功させて二死二三塁。
当然、二死ですが、一打で2点を失うピンチです。
そして、迎えるのは篠塚、原、スミス、中畑と中軸。


そこで、左キラー永射にスイッチ。
B2S2からの5球目。
外角にクロスするストレートで篠塚を空三振に。
とにかく10回表のピンチを無失点のまま脱しました。


10回裏、マウンドには江川が登板。
先頭の行沢は三振に倒れますが、
大田、テリーと連打で一死一二塁に。
でも、ベテランの山崎に対しては、
内角一杯のストレートで見三振。
江川は気迫のストレートで山崎も手が出ず。


二死一二塁の中、
捕手・黒田の代打に小柄な金森登場。
非力の金森なので、1点もやれぬ巨人は前進守備。
初球、内角一杯にカーブを決められ見逃し。
2球目は内角低めに外れるカーブでB1S1
ただ江川も足が痛いためか?
自慢のストレートを投げずに変化球で対応。


3球目、低めボール球のカーブ。見逃せばボール判定。
でも、金森は手を出し、
バットの先で「ちょこん」と当てる形で流し、
打球はそのまま浅く守っていた
左翼手スミスの頭上を抜けてサヨナラ打に!
打った金森は、万歳しながら二塁に到達してからは、
わけのわからぬ状態でベンチへ。
あとはそのままもみくちゃ!


この顔が今でも脳裏に焼き付いていますね。


西本、江川の二枚を打ち崩してサヨナラ勝ち。
巨人が東尾、森繁和の二枚を
打ち崩してサヨナラを決めた第3戦の借りを
返上して逆王手に。


このシリーズは
サヨナラゲームが3度に及ぶ激戦になって
第7戦へもつれていきました。


広岡監督は
杉本と心中をしたんだよねと、話をして
一方、西本&江川を打ち崩したことで
相手はプレッシャーがかかるだろうとコメント。


第7戦
(西武球場、1983年11月7日)
雨天順延で1日空いた最後の決戦・第7戦
西武の先発は松沼兄、
巨人の先発はリベンジを果たしたい西本。


登板が嵩む西本にとって、前日の雨は恵みの雨に。
西武は再び西本を打ち崩せるのか???


西本は登板過多になっていましたが、
そんな疲れを見せずに西武打線を再び抑えていきます。
西武打線はゴロ打の山を築き、
6回まで僅か2安打無四球で
ゼロをスコアボードに並べられます。


一方、兄やんの方は、
KOさせられてグラブを投げつけてベンチへ帰った
第5戦のリベンジを果たしたいわけですが、
序盤の2イニングは三凡に抑えるものの
3回表一死で女房役の山倉が
レフトスタンドへ先制ソロ弾を放ち、
好投する西本を援護します。


その後、5回表、
先頭・山倉の遊ゴロコースで石毛が悪送球!
西本がバントを成功させ、
松本が二ゴロの間に山倉は三塁へ進塁し
二死三塁に。
次の河埜はボテボテの投ゴロでしたが、
兄やんが一塁へ悪送球!
西武が2度の悪送球からノーヒットで
追加点を許してしまいます。


西本を相手に2点差ビハインドは痛い展開。
2点ビハインドのまま進んだ第2戦の二の舞になるか?
「守る野球」という広岡野球の神髄が崩れた場面でした。
これでリズムは巨人へ???


7回表、エース東尾がマウンドへ。
一死から西本に中安打を打ち込まれ、
次の松本には一塁手田淵が失策。
河埜にバントを決められて、
篠塚がレフト線へ痛烈な大ファウルを打ち、
結局、四球となりを歩かせ、二死満塁のピンチに。
巨人に傾きかけている中での大ピンチ。
ここでのダメ押しは致命傷になるわけで、
迎えるは4番の原。


このシリーズでは、エース東尾は先発ではなく
勝ちパを含めたリリーフに回っていました。
それなのに打ち込まれており、汚名返上を図りたいところ。
東尾はエースであり、この年のリーグMVP男。


ここは東尾が原を三振に討ち取り、
まさに意地を見せて追加点を許さず!
これで西武は流れを引き戻せるのか?


7回裏、西0-2巨。
そのエースの気迫に打線が応えます。
先頭スティーブが中安打、田淵が四球。
無死一二塁で大田の打席。


ただ打球は投手ゴロコースでしたが、
強襲する形で
西本がグラブで弾き、無死満塁に。


そして、テリーが外角低めに落ちるシンカーを
体制崩しながらも強引に流して左中間を割る形に。
テリーはこの球を狙い打ち。
走者一掃の逆転適時二塁打で一挙3点を奪取!


ついに西本を連戦で打ち崩しました。
西本も決して甘い球ではなく、
本人も自信をもって投げ切ったシンカーでした。


これで1点差リードのまま、
8回、9回の残り2イニング。
東尾はどちらも
出塁こそ許しましたが、失点を許さず。


9回二死二塁。打者は篠塚。
最後は内角で詰まらせて二ゴロ。


これで西武ライオンズが日本一を連覇!
広岡監督が落とされず胴上げされ、
目方の重い田淵がまた胴上げされ、
ついに獅子が盟主・読売巨人軍を
打ち破って日本一に!


ただし、このシリーズ。
西武が日本一を決めましたが、
巨人との差は極々薄く
勝負はどちらに転がってもおかしくなく
結末は最後の最後まで
神すら読めぬ熱きシリーズになりました。


―――――――――――――――――――――
②1992年:ヤクルト戦(森)4勝3敗
1983年巨人戦で長く書きすぎたので、
字数制限を超えそうなので
少しはしょりながら書かさせていただきます。


しかし、この1992年のヤクルト戦は、
1983年巨人戦に劣らぬほど熱き大激戦となりましたね。


西武は既に黄金期の全盛時代。独走でリーグ優勝。
シリーズの勝ち方も熟知している常勝軍団でした。
ヤクルトは野村ID野球が3年目で浸透して結果を出し、
このシリーズは西武に胸を借りる形でしたが、
一戦ごとに強くなってきた新勢力にありました。
でもヤクルトも若手のみならず
ベテランも力を発揮し、荒木など復活組もいて
総合力は高いチームになっていました。
阪神を競り落として勝ち上がってきました。
タヌキとキツネというよりは
タヌキとタヌキの化かし合いになりましたね。



第1戦
(1992年10月17日、神宮球場)
先発は西武が渡辺久信、ヤクルトが岡林。
久信は回復力が早かったので
シリーズで多く登板できることから
初戦先発に選定されました。


2回表、先頭のデストラーデが内角球を
ライトスタンドへ先制ソロ弾を放り込みます。
詰まってもいい当たりでしたが、パワーで運びましたね。
ただ、その後、岡林からしばらく決定打が出ぬ状況に。


逆に3回裏、先頭の笘篠弟が
外角低めの変化球を巧みに流して左安打で出塁します。
そこで岡林がバスターを仕掛け、
そのバウンド打球は前進した清原の頭上を越えます。
カバーに入っていた辻が好守で一塁を刺し、
結果として笘篠弟を送った形に。


しかし、飯田にど真ん中を打ち込まれて
左中間を割って同点のエンタイトルとなる左適時二塁打に。
さらに新井には外角要求が中へ甘く入って
一塁手・清原を割られる右適時打に。
平野が強肩を活かして送球するも、
飯田が勢いに乗って速く好スライディングを決められ、
これで逆転の2点目を許しました。
その後、新井が盗塁を失敗しますが、
ヤクルトが機動性を活かして西武を攻めていきます。


岡林から追加点を奪えない中、
6回裏、真ん中に入ったカーブを
古田にレフトスタンドへ運ばれ、これで3点目。
ジワジワと引き離されていきます。


7回表、円陣を組んだ西武打線。
先頭のデストラーデが外角の変化球を流し打って
そのままレフトスタンドへソロ弾を!
バットの先でそのままパワーで運びました。
恐るべしカリブの怪人です。
でもその後がゴロアウトを重ねて続かず。


8回裏、一死一塁の場面で
盗塁王・飯田が盗塁を仕掛けます。
しかし、伊東がそれを刺し、
それ以降、
飯田はこのシリーズで盗塁を仕掛けられず
飯田の足を封じ込めましたね。


1点差ビハインドのまま9回表。
一死から清原が低めを弾き返して
次のデストラーデが外角球を弾き返して
連続中安打で一死一三塁のチャンスを築きます。
そして、石毛が手堅く深めの右犠飛で
清原が豪快に突っ込んで同点に追いつきます。


ただ、西武は潮崎、鹿取と二枚看板で継投し、
一方、ヤクルトは岡林が続投しながら、
ゲームは延長戦を戦い続けます。


10回表、二死から辻、平野の連打で
チャンスを築きますが、
秋山のポテン気味の打球を
左翼手・土橋が突っ込んで
捕球する好守を見せ得点できず。
140球を超える岡林を打ち崩せません。


そのままスコアボードには双方ゼロが並びます。

12回裏、マウンドには鹿取。
秦に内角から中に入ったところを
左中間を割る二塁打を打ち込まれて、笘篠弟を敬遠。
岡林のところでベテラン角が代打に送られます。
森監督は一旦マウンドへ上がりますが、鹿取の続投。
角を三邪飛でバント失敗しましたが、
次の飯田に田辺が捕球できずの遊安打。
まあ三遊間を抜けそうも田辺が追いつくだけでも精一杯。
捕球していても間に合わなかった打球でした。
むしろ抜けていたら
サヨナラ打の可能性がありましたね。


でも、一死満塁。代打はベテラン杉浦。
杉浦というと、1978年、
広岡・森コンビでヤクルトが優勝したときの選手。
この年に引退を決めていましたが、もう1年やりましたね。


鹿取も巨人時代に何度も対決している相手です。
ただ、この日の鹿取は調子が今一つ。
結果は内角高めをフルスイングでライトスタンドへ決める
サヨナラ・グランドスラム!
パンチ力のあるタイプでしたが、
完璧なタイミングでバットを振り抜かれましたね。



結局、ヤクルトが劇的な形で初戦をモノにしました。
ただ、西武の方は4つ獲れば良い、
第2戦が重要と見ていましたから
衝撃的な敗戦になりましたが、そこまで応えず。
でも、この後のシリーズは、
普段と逆の鹿取→潮崎に作戦を切り替えていきましたね。


第2戦
(1992年10月18日、神宮球場)
先発は西武が郭泰源、ヤクルトが復活した荒木。


この試合は危なげなく泰源と潮崎の完封リレー。
ただし、手痛かったのは泰源のリタイアでしたね。
6回裏、ハウエルの強襲する打球が
泰源の右手親指に直撃し、ここで降板。
潮崎がその後、きっちり抑えたわけですが、
泰源はこの後のシリーズで登板できず。
工藤も足に不安を抱えていたので
大きな二本柱をまともに使えない状況に。
まあこの年のシリーズは
MVP男・沢村賞投手の石井丈裕が大活躍しますが。


一方、荒木も出塁を許してもなかなか攻めきれず、
西武打線も決め手に欠く攻撃が続きましたね。


試合を決めたのは、6回表一死二塁からの
甲子園のスター同士の対決。清原vs荒木。
清原は内角のカーブをファウルで粘りながら、
外角に投げ込んだ低めカーブを
態勢をしゃがみながらバットの先でレフトスタンドへ。
巧みに打ちながらそのままパワーで押し込みましたね。


第3戦
(1992年10月21日、西武球場)
先発は西武が石井丈裕、ヤクルトがルーキーの石井一久。


石井一久は2回裏にピンチを築きますが、
3回まで西武打線は得点を挙げられず。
ただ石井一久はまだ未勝利で経験も浅いわけですが、
秋山から空三振を奪った高めストレートはさすがでしたね。
また2回裏、伊東を三振に仕留めた落差のあるフォークも。
今では超憎たらしい敵ですが。


4回裏、秋山が外角球でポテン気味の右安打で出塁。
デストラーデの打席で秋山が石井一久のモーションを盗み盗塁。
経験の浅さがここで露呈し、
デストラーデ、石毛のストレート狙い打ちの連続二塁打で
西武が2点を先制します。


一方、沢村賞のMVP男・石井丈裕は
危なげなくスコアボードにゼロを並べます。
7回表、広沢に一発打ち込まれますが、
外角低めを打った広沢があっぱれで
石井丈裕自身、崩れたわけではなく、
負ける気がしないピッチング。


西武打線は、8回裏にダメ押しを決めます。
ただ、このとき秋山がバントをしましたね。


結局、第3戦は完勝して西武が2勝1敗。


第4戦
(1992年10月22日、西武球場)
先発は西武が渡辺智男、
ヤクルトが第1戦で161球投げて
12回を完投した岡林。まさに化け物。


先発の智男の方は、
初回の立ち上がりをクリアするものの、
2回表、制球力が定まらず
ハウエル、杉浦と連続与四球。
その間にハウエルに盗塁されますが。
池山がバントを仕掛けますが、
打球は智男の真正面へ。
そのまま三塁、一塁で刺して併殺打に。
ヤクルトの策が裏目になりましたね。


3回表、先頭の笘篠弟の打球を三塁手・石毛がポロリ。
飯田が送ろうとする中、笘篠弟の盗塁が失敗。
それでも智男は制球が定まらず飯田を歩かせます。
新井に一二塁間を割られて、一死一三塁に。


まだ序盤でしたが、智男を降板させて
マウンドへ送り込んだのは鹿取。
二番手に早々から鹿取を投入しました。
相手が岡林ですから、
先制を許したくないことと、
ロースコアの展開が見込まれる分、
1点が重くなってきますからね。


その後、鹿取がロングリリーフでヤクルト打線を抑えます。
最後は潮崎が締めて1点差リードを死守し、
結果として智男~鹿取~潮崎で完封リレーに。


一方、岡林の方は
第1戦目のような変化球よりも
速球を中心に攻めて西武打線を抑えていきます。
しかし4回裏、ど真ん中カーブと失投し、
秋山にレフトスタンドへ完璧に放り込まれ
先制1点を奪いました。
ただし、岡林自身、それ以外は抑え、
秋山へ投げた一球に泣きましたね。


勝ち方を知っている西武が
3連勝で王手を打ちます。


ここまでは投手戦などで楽しめましたが、
勝ち方を知っている西武と経験の浅いヤクルト
という構図で展開し、次戦が久信の先発なので、
このまま西武球場であっさり決めちゃうかな?
という雰囲気が漂っていましたね。


ところが、どっこい、このシリーズは
次の第5戦から慣れてきたヤクルトが目覚め
壮絶の殴り合いとなって大激戦と化していきます。


第5戦
(1992年10月23日、西武球場)
先発は西武が渡辺久信、ヤクルトが高野。
ヤクルトは控えのパリデスと橋上をスタメンに。


序盤の3回までは双方ゼロを並べましたが、
久信が4回表に乱します。
先頭の新井を与四球で歩かせると、
古田に甘く高めに入った変化球を思い切り引っ張られて左安打。
広沢を三振に仕留めますが、
ハウエルの打席で暴投。これで一死二三塁に。
そして、真ん中ストレートをライトスタンドへ運ばれ
手痛い先制3ランを浴びます。久信の一発病が発症します。


そして5回表、新たにスタメンに入った
橋上、パリデスの連打でピンチを築きます。
パリデスはバントができなくて強硬策に。それがハマります。
飯田に送られて一死二三塁に。
ここで久信を諦め、ワンポイントの小田が登板。
新井の打球は清原が弾きましたが、
辻が名カバーでとりあえず走者を釘付けにしながら二死に。
そこで小田は役目を終えてルーキーの新谷に。
しかし、古田に低めを片手打ちですくい上げられ、
秋山の前に落とす中前適時打に。
2人生還してリードが5点まで広がります。


ヤクルト打線の猛攻はまだ続きます。
6回表、秦、パリデスでチャンスを築き、
飯田のポテンヒットでもう1点許し、
これで6点差ビハインドの展開になります。


一方、西武打線の方は、
のらりくらり投げる高野から毎回出塁をするのですが、
5回まで得点を挙げることができず。
しかし、ようやく西武打線が
6点差になった直後の6回裏に目を覚まします。
先頭の秋山が与四球で歩きます。
次の清原も与死球で無死一二塁に。
高野に疲れが見られてきます。
デストラーデは倒れたものの、
次の石毛にも与四球となり、
気づくと高野の自滅による一死満塁に。


ここで高野から金沢にスイッチします。
しかし、大塚が外角低めを流して左前適時打で
ようやく1点を返上。まだ一死満塁の大チャンス。


そこで、伊東を下げて、代打に森博幸を送り込みます。
森は流してレフト前に落とす形で
清原、石毛が生還する左適時打を放ちました。
さらに田辺が詰まらせながら左前適時打で大塚が生還。
まだ西武打線の勢いは止まらず、
平野が外角球を流して、
森の代走・羽生田が思い切りホームへ突っ込んで
古田は送球を落球してもう1点を奪いました。


その後、伊東に交代して
打者一巡で二死満塁までチャンスを得ましたが、
清原が打ち上げて攻撃はそこまでに。
結局、このイニングで5点を追い上げ
1点差まで持ち込みました。


敗色濃厚の展開から
一挙5点を奪って
1点差まで詰め寄った展開に一変。
西武ベンチに「本拠地で日本一」が頭によぎってきます。


その直後の7回表。
新谷が一死一二塁のピンチを残して降板。
そこで登板したのがこのシリーズで好調の潮崎。
ただし、鹿取がロングで前日に投げているので使えず、
潮崎も第6戦に温存したかったらしいですが、
6回裏の猛攻追撃により
「本拠地で日本一」という色気が出てきて
この試合で一気に決めるべく潮崎を投入してきました。


潮崎はその7回のピンチを凌ぎ、
8~9回も三凡祭りで無失点に抑えて期待に応えます。


ただし、7回裏にデストラーデの一発で
同点に追いつき、ここまで来れば
押せ押せ一気に頂点へ駆け抜けたいのですが、
その後が続かず、勝ち越し点を得られぬまま。
試合がだらだらとゼロを並べて延長戦に突入します。


失点を許さず投げ続けた潮崎でしたが
4イニング目の10回表。
先頭のブンブン丸・池山が
内角要求から中へ入った球をフルスイングで
レフトスタンドへ勝ち越し弾を放り込みます。


これで第5戦は勝負が決まり、
その裏、池山の好守もあって伊東を攻めきれず、
西6-7ヤでヤクルトの勝利に。
西武は3勝2敗と王手から足踏みをしてしまいます。


そして大激戦の第6戦に続きます。


第6戦
(1992年10月25日、神宮球場)
このシリーズ最大の見せ場となった大激戦。
最高のルーズベルトゲーム!
こんな熱すぎるゲームは
そうめったにお目にかかれぬシーソーゲーム
と言っても過言ではないくらいでしたね。


先発は西武が足に不安を抱えていた工藤、
ヤクルトは荒木。


初回表、先頭の辻が弾き返して中安打で出ます。
この日は2番に平野ではなく大塚で定型通りバント成功。
ただ続く秋山が打ち上げ、清原が詰まらせて打ち上げ、凡退。


初回裏、先発の工藤は、足に不安を抱えながら
2番の新井を歩かせましたが、
続く古田がカーブを流すも、辻の真正面で二直。
新井も飛び出ていて、そのまま刺して併殺。


双方ともゼロで抑えた立ち上がり。


試合が動いたのは2回表。
先頭のデストラーデが四球で散歩し、
石毛が一二塁間を割る右安打。
田辺の打席で3球目が暴投になって進塁。
田辺は倒れますが、伊東が四球。
これで一死満塁に。打席には工藤。
工藤も1986年の広島戦でサヨナラを打った男。
低めのカーブを引っかけて
6→4→3の併殺打コースも、
工藤は間に合って併殺崩れの間に
からがら先制点を奪いました。


しかし、3回裏、
先頭の橋上が高めストレートで
レフトスタンドへ同点ソロ弾を。
続くパリデスが弾き返して中安打。
王手を打たれて崖っぷちになってから
スタメンで使われるようになった橋上&パリデスは
このシリーズで双方にラッキーボーイ的存在になりましたね。
まあ橋上は平成末期を西武でコーチとして過ごすわけですが。


次の荒木にはバントを成功され、
飯田に真ん中の球を捕らえて右中間を割りながら
逆転適時三塁打を打ち込まれます。
これで西1-2ヤとなり工藤がKO。


でもその直後の4回表。
先頭のデストラーデが中安打で出ると、
次の石毛が4球目の低めを
右中間スタンドへギリギリ運ぶ逆転2ラン。
西3-2ヤと西武は再びリードを奪い返します。


それでもまだ試合は動きます。
その直後の4回裏、二番手の久信が捕まります。
一死からハウエルが秋山を越す二塁打で出ると、
今度はブンブン丸の池山がど真ん中の変化球を
レフトスタンドへ逆転2ラン。久信の失投。
一発攻勢の殴り合いにより
西3-4ヤと西武は再びリードを失います。


その後、橋上もレフト前に落とすヒットでしたが、
デストラーデが後ろをそらす形で二塁打に。
ただベンチはこのプレーに腹を立てます。
久信もピリっとせず、パリデスに与死球。
ヤクルトは荒木の代打に荒波を。
ここでロングリリーフとして送り込んだはずの久信もKO。
三番手にはワンポイントの小田。
さらに清原をサードに、デストラーデを一塁に。
遊撃手には田辺を引っ込めて石毛が入り、外野に平野が。
先ほどのデストラーデの守備不安がそうさせましたね。
一方、ヤクルトは代打の代打で八重樫登場。
そうヤクルトには大ベテランがまだいましたね。
結果は、低めを打ち上げさせて二飛。
小田はお役御免で四番手に新谷が登場。


でも飯田は遊安打。焦った石毛の送球が逸れました。
これで二死満塁の大ピンチに。打者は土橋。
そこは新谷が外角ストレートの奪空三振で踏ん張ります。


5回表、二番手に石井一久が登板。
ただ制球定まらず辻に与四球、大塚バント成功。
秋山も歩いて一死一二塁に。ここで金沢へスイッチ。
ところが、清原は外角一杯の球で見三振。
続くデストラーデも三球空三振。
ヤクルトバッテリーが踏ん張りました。


しかし、試合はまだ動きます。
6回表、
石毛は三塁手・ハウエルが打球を弾く失策で出塁。
平野が四球で散歩し、伊東がバント成功。
一死二三塁で新谷の代打・鈴木健。
外角球を流し打ちますが、
レフトスタンドへギリギリ入り込む逆転3ラン弾!
狭い神宮球場らしい一発攻勢の殴り合い。
これで西6-4ヤと西武が再々リードを奪還。


その直後の6回裏、鹿取が登板。
できればこのまま逃げ切りたいところ。
ところが橋上が中安打で出塁します。
二死から秦が流して左前安打。
飯田が浅いゴロで清原突っ込むも間に合わずの三安打。
これで二死満塁の大ピンチに。
ここで第1戦に鹿取から満塁弾を放っている杉浦が代打に。
同じ神宮の満塁場面での再対決!
でも鹿取が慎重になりすぎて制球を乱します。
そう、らしくない「押し出し」で1点返されます。
まあ満塁弾よりはマシですが、、、
古田を一飛で仕留め、何とか1点差リードを死守します。


使い込んでいる潮崎はまだ出すのが早く鹿取が続投。
1点差リードのまま7回裏に。
西武は守備強化のために、
清原を一塁手、石毛を三塁手へ戻し、
デストラーデを下げて奈良原を遊撃手に。
清原のサードも危ういし、
デストラーデも先ほどの守乱の懸念もあり、
ここは守備固めに入って虎の子1点を守りに行きました。
まあ、まだ勝敗も1つリードしていましたからね。


でも鹿取の乱調はまだ続きます。
7回裏、
ハウエルにど真ん中を打ち込まれ
同点の中本塁打を被弾。
これで西6-6ヤと再び振り出しに。
ところが、鹿取を下げられず
ヤクルトの猛攻がまだまだ続きます。


二死から橋上が外角球を引っ張って左安打。
これで1HRを含む4打席連続安打に。
おまけに橋上が盗塁を決めます。
パリデスも続いて弾き返し、逆転となる中適時安打。
これで西6-7ヤ。ヤクルトが再びリードを奪還。
この橋上&パリデスは
チームの危機から転がり込んできた
数少ないチャンスをこの大舞台でモノにします。
鹿取はまだ続投し、その後は抑えますが。


1点差ビハインドの状況で9回表。
ヤクルトは伊東が第5戦に続いてのロングリリーフで
抑え続けているところです。
鹿取の代打で森博幸が二ゴロ、辻が中飛と
「二死」まで追い込まれます。
でも大塚がレフトポール際の大ファウル含めて
粘りながら四球を誘います。
二死一塁で秋山が打席に。
B0S2からバッテリーは勝負を焦ったのか
秋山は甘いど真ん中で右中間を割る形に。
大塚が一塁から一気にホームへ突っ込みます。
送球も際どく、判定はセーフに!
この9回二死の土壇場から再び同点振り出しに戻しました。


ただし、秋山は一塁で止まってしまい、
おまけに清原は第4戦以降ノーヒットでブレーキしており、
結局、勝ち越しまでには至りませんでした。
この詰めの甘さがこの後の苦しさを促しました。


9回裏、潮崎が登板。
このシリーズ、潮崎がフル回転です。
それでも9回裏は奈良原好守にも助けられて
危なげなく三者凡退に。


これでシリーズ3度目の延長戦に。
西武は10回表を三者凡退に。
デストラーデを引っ込めた仇がここに。


そして10回裏一死で秦が打席に。
潮崎も外角への抜け球が散見され、気力だけで投げる形に。
外角を続けてB3S1ボール先行の中、
5球目は内角へ投げ込んだスライダー。
秦はこの球を完璧に狙い打ってライトスタンドへ。
サヨナラ弾を放り込まれてTHE END!


西7-8×ヤの逆転逆転のルーズベルトゲームで
ヤクルトが本拠地・神宮で逆王手。


勝ち方を熟知しているはずの西武は、
王手を早々に打ちながらも
細々と誤算が重なりながら
新生・燕軍団の勢いに飲み込まれて
ジリ貧状態で逆王手を打たれたシリーズになりました。


第7戦
(1992年10月26日、神宮球場)
泣いても笑っても最後の神宮大決戦。
最後はMVP男・石井丈裕と完投続ける岡林の息を飲む投手戦に。
前日の第6戦と違って、静かに進行するものの、
この「エース対決」と言っても過言ではない投手戦は
別の意味で盛り上がった大決戦となりました。


当然、この試合は勝った方が「日本一」に。
それでも両ベンチとも、丈裕&岡林には代打を出さず。


丈裕も9被安打、2与四球、
岡林も8被安打、1与四球と出塁を許しますが、
双方そう簡単に失点は許さず、
丈裕は9奪三振、岡林は10奪三振で
このシーズン4度目の延長戦に突入しながらも
双方とも160球程度の投げ合いで完投し切りました。


先制点は4回裏のヤクルト。
飯田の浅い打球を左翼手の安部が突っ込むが、
逸らしてしまって快速で二塁を陥れられ、
新井のバントで丈裕が悪送球。その間に飯田が生還。
「守りの野球」が崩れて手痛いミスを重ねました。


一方、西武は岡林に再三抑え込まている中、
7回表、先頭デストラーデの打球を
二塁手パリデスが失策。
二死二塁から伊東が歩かされて、丈裕との勝負に。
二死一二塁のチャンス。
でも終盤に差し掛かる最終戦で1点ビハインド。
当然、試合に負ければそこで本当に「万事休す」
このチャンスを逃せば、残り2イニングで勝負に。


森監督は丈裕続投を狙い、そのまま代打を出さずに。
打席には投手の丈裕。相手は一流の岡林。
ヤクルトの方が勝算が高い勝負に。


それでも投手が打ってきた、投手に打たれてきた
シリーズは何度も経験してきた西武。
DH制が無かった前述の1983年巨人戦もそうだし、
(西本や江川、東尾が続投狙いで、森繁和も意地で打って)
(ちなみに1982年中日戦でも森繁和は二塁打を)
1986年の広島戦で工藤が打ったサヨナラ打もそうだし、
大舞台では、大混戦になればなるほど
「何が起こるか?」わからなくなりますからね。
だから「熱い!」ですね。


打席に入った丈裕。
岡林が投げたカーブは甘く入って
丈裕がそれに食らいついて打って
中翼手・飯田を超える貴重な同点適時打に!
西武ベンチは滅茶苦茶盛り上がります。
岡林は第4戦に続き痛恨の一球となりました。


丈裕は8回裏に一死満塁のピンチになりますが、
満塁男の代打・杉浦を好守・辻が助け、
こちらも二死満塁で打席に岡林。
野村監督も岡林続投で代打を出さず。
しかし、こちらは左飛に終わり、得点できず。


辻は安定の左回りでのホーム送球。右回りでは間に合わず、
1987年巨人戦で辻が大激走したとき、
クロマティの緩慢な送球もありましたが、
中継の川相は右回りで送球したことを大きく悔やみ、
辻も指導者になってからそれを常に指導していますね。
8回裏、二死一二塁でダメ押しが欲しいところで
打席に入ったのは絶不調の清原。焦りから打ち上げ三飛に。
清原はここでベンチへ下がることに。
森監督の後日談では「清原がもう虚ろ」だったからのようですね。


西1-1ヤのままシリーズ4度目の延長戦に。


10回表、辻が左二塁打で出塁すると、
大塚が定型通りバントで辻を三塁へ。
とにかく何が何でも欲しい1点。
まさに連日「1点」が大事になる展開に。
一死三塁で打席には秋山。犠飛でも1点の場面。
秋山は外角低めのスライダーを
しゃがみ込みながら打ち上げます。
きっちり中犠飛で貴重な勝ち越し1点をもぎ取りました。
飯田も送球できず。


1点差リードで10回裏。
古田からの一発のある打線でしたが、
ベンチは丈裕と心中を決めて微動だにせず。
そうこの年のエースは間違いなく丈裕。
ここまで苦しくてもエースを動かさず、
最後もエースに全てを託しました。


古田を泳がせて三ゴロ。
広沢も泳がせて遊ゴロ。
ハウエルを最後はカーブで空を切らせて奪三振!


3年連続8度目の日本一を奪取しました。


ただこの勝負、
最後は勝ち方を知っている西武が制しましたが、
後半の流れを鑑みると、ヤクルトが制してもおかしくなく、
後半から土壇場までもつれにもつれた大激戦となりましたね。


その翌年、野村IDの燕軍団が常勝獅子軍団を打ち破り、
広岡&森政権の黄金期の栄光・日本一はこの年が最後となり、
燕軍団の時代が到来してきましたね。


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では、長くなりましたが今日の昔話はここまでです。


次回はリーグ優勝&初の日本一となった1982年
リーグの覇権を賭けた日ハムとのプレーオフ
「工藤詐欺事件」
を中心に書きたいと思います。


長々とお読みくださり
誠にありがとうございました。